例会

第42回例会(研究発表会)

日時:2000年9月16日(土) 13:30~17:30
場所: 関西ドイツ文化センター(京都)

<<内容>>

1.研究発表
発表者:吉村 淳一 氏(大阪市立大学院生)
題目:2格の機能の二層構造――「基本的機能」から「具体的な意味」へ――

[要旨]

2格が多面性をもち、用いられる環境によって一見しただけでは別の機能に見えるのは、2格のもつ基本的機能が、それほど固定化されたものではなく、可変的な要素を含んでいることに起因するのではないか。本発表の目的は、2格動詞(genitivfähiges Verb)を考察の対象にし内容的解釈にもとづく2格の分類をさらに越えて、2格を多種多様に見せるメカニズムを解明することにある。 研究史上、2格の基本機能に関する議論は、未だ解決を見ていないが、独立した個々の機能が混合した格として捉え、「本来的Genitiv」と「非本来的Genitiv」に分け、その本質を捉えようとする立場もあれば、すべての用法は、一つの機能から派生したと考える立場もある。これらの立場を紹介したうえで、2格が名詞を形容詞化する統語機能や2格がもつ意味機能の二層構造を取り上げ、2格の本質に迫ってみたい。


2.研究発表
発表者:神谷 善弘 氏(大阪学院大学)
題目:入門期の発音指導について

[要旨]

 ドイツ語入門期においては、発音の指導が重要であることは疑いの余地はないであろう。しかし、日本の大学のドイツ語の授業では、文法や語彙については、授業でも比較的丁寧に説明され、また参考書や単語集も数多く出版されているのに対して、発音については、授業が進むにつれ、練習の機会が少なくなり、自習の方法も明確でないのが実情である。実際に、1年生の後期や2年生の授業で、教科書のテキストをある程度でも正確に音読できる学生が少ないという経験は誰にでもあるだろう。 本発表では、大学の初級クラスの1年間の授業の流れの中で、すべての学生に、アルファベットの読み方や発音規則を身に付けさせる方法について提案を行う。具体的には、授業の実践報告を踏まえて、アルファベットの効果的な指導方法、発音規則の段階的な教え方、数詞の暗誦と関連づけた発音指導、教科書の音読練習の重要性、発音に関する試験の実施方法とその意義などについて詳述を行う。


3.研究発表
発表者:佐藤 和弘 氏(龍谷大学)
題目:欧州連合と多言語政策:ドイツの場合

[要旨]

 EU(欧州連合)では様々な分野でヨーロッパの統合を目指した試みがなされている。まずここではEUが提唱する多言語主義・多文化主義に基づいた言語政策に注目し、EU加盟国であるドイツで現在行われている言語政策・外国語教育に目を向け、その現状と問題点を考察する。次に今日の日本の言語政策・外国語教育、とりわけドイツ語教育の抱える問題点を考察していく。

第41回例会(研究発表会)

日時:2000年5月27日(土) 13:30~17:30

場所: 関西ドイツ文化センター(京都)

<<内容>>

1.研究発表
発表者:納谷 昌宏 氏(松阪大学)
題目:打撃動詞と語彙概念構造

[要旨]

次の(1)と(2)はいずれも打撃の意味を表す文である。
(1) a.Er schlägt den Hund mit dem Stock.
b.Er schlägt den Stock auf den Hund.
(2) a.Er verprügelt den Hund mit dem Stock.
b.*Er verprügelt den Stock auf den Hund.
動詞 schlagen では道具4格構文が可能であるのに対して、動詞 verprügelnでは非文となる。こうした事実は、それぞれの打撃動詞の意味構造が異なることを示すものである。本報告ではそれぞれの動詞の語彙概念構造を分析することにより、打撃動詞がいくつかの意味タイプに分類されることを明らかにする。また英語の打撃動詞との対照をも試みたいと考えている。


2.第22回言語学リレー講義
発表者:渡辺有而氏 (関西大学)
題目:いわゆる副詞的2格とは何か――ベハーゲルの疑問の解明――

[要旨]

現代ドイツ語の規範文法で一括して副詞的2格として扱われている表現に、時を表すもの(eines Abends usw.)と並んで、ベハーゲルが「歴史的関連の解明が最も難しい用法」と呼んだ、付随的状況・様態・関係・観点に関するものがある。この種の表現を筆者は、辞典に32個(leichten Herzens usw.)、現代ドイツ文学作品に新たに41個(verkniffenen Mundes usw.)見出した。とりわけ Th.マン(19個)、St.ツヴァイク(8個)の作品に多く、19世紀の作家ではC.F.マイアー(11個)が目立つ。本発表では、この語法の言語史的背景を明らかにするとともに、カエサルの「ガリア戦記」に多用される具格的奪格・絶対奪格と対比させてその文化史的背景をも追求する。


3.総会

[議題]

  • 1.各委員からの報告
  • 2.新委員の選出

第35回例会(研究発表会)

日時:1999年12月18日(土) 13:30~17:30

場所: 関西ドイツ文化センター(京都)

<<内容>>

シンポジウム「言語とアイデンティティー――ドイツ語圏とその周辺――」

1.研究発表
発表者:田村 建一 氏(愛知教育大)
題目:ルクセンブルクの言語事情――三言語併用が抱える問題――

[要旨]

 かつてドイツ語の一方言にすぎなかったルクセンブルク語は、十九世紀前半に国民国家ルクセンブルク大公国が成立するとともに国民のアイデンティティーの中核として機能しはじめ、以来さまざまな形で言語育成がなされた結果、使用領域を拡大し、1984年の言語法ではフランス語、ドイツ語とともに公用語の地位を与えられるまでに至った。この間二度にわたるドイツ軍の侵略を経験したルクセンブルクでは、ドイツ語に対する感情は複雑である。行政文書や法律などはもっぱらフランス語が用いられ、フランス語の能力がステータスシンボルにもなる。
ルクセンブルク語の公用語としての規定は現在のところ象徴的な意味しかもたず、公文書にルクセンブルク語が用いられることはないし、学校でのルクセンブルク語教育(小学校で週半時間)が拡大される様子もない。実際には、三言語併用は国民の言語生活、とりわけ学校教育に対して、かなりの負担を強いており、学歴と言語能力と社会階層が強い相関関係にあるルクセンブルクで、もし一部の民族主義的な立場からの主張を受け入れてこれ以上ルクセンブルク語を拡充するならば、その結果フランス語教育が犠牲となり、国民の間でフランス語能力にますます差がひらくことが懸念されるのである。母語の育成を抑えてでも、統合が進むEU の中で言語的に有利な自国の立場を今後とも保持しようとするルクセンブルクの政策は、小言語を母語とする国家の言語政策の一つのあり方を示すものであろう。


2.研究発表
発表者:進藤 修一 氏(大阪外国語大学)
題目:南ティロールの言語政策――歴史的考察――

[要旨]

 イタリア北部のトレンティーノ・アルト=アディージェ州はいわゆる「多言語地域」で、現在イタリア語・ドイツ語・ラディン語(レト=ロマン系)の三言語が使用されている。この地域は1918年の第一次大戦までは多民族国家ハプスブルク帝国領であった。大戦に敗北したハプスブルク帝国は解体され、南ティロール地域はサンジェルマン条約によりイタリアへ割譲されることとなる。ここが現在の言語問題の出発点である。
本報告ではまず1918年より現在に至るまでの南ティロールにおける言語問題の概観を行い、さらにそのなかから併合後約20年間の状況を主題として言語・言語政策・言語使用者のアイデンティティーについて考察したい。本報告が対象とする期間に、イタリアはさまざまな政策によって、併合された南ティロールの「イタリア化」を推進する。その柱の一つとなったのが学校政策であった。ドイツ語教員の解雇・配転、ドイツ語での授業の禁止などが打ち出される。それに対抗してドイツ語系住民は個人授業の形で子弟のドイツ語教育を行い、それはやがて組織化されてドイツ語「地下学校」ネットワークが構築されることとなる。さらに注目すべきは、在外ドイツ人協会やアンドレアス・ホーファー協会のようなドイツ・オーストリアの団体の存在である。これらの団体は「在外ドイツ人」の支援に力を入れていたが、この南ティロールの地下学校教師養成コースも在外ドイツ人協会の支援を受け、ミュンヒェンでコースを設置していた。
こうしてみると社会における言語の役割とはどういうものだったのかという疑問が湧いてくる。言語は国家統合の柱として機能し得るのか。でなければ社会はどのようにして統合されているのか。人間は言語からのみアイデンティティーを獲得しているのか。言語と社会の関係がわれわれに突きつけている問題はあまりにも大きいが、新たな一面を照射すべく議論のたたき台を提供できればよいと考えている。


3.研究発表
発表者:清水 誠 氏(北海道大学)
題目:フリジア語群の変容と言語研究――多言語使用におけるアイデンティティ――

[要旨]

国をもたず、ドイツとオランダの3地域にわたって用いられるフリジア語群は、歴史的にオランダ語、デンマーク語、低地ドイツ語との接触を通じて発達してきたが、今日ではそれぞれオランダ語と標準ドイツ語の強い影響下にあり、大きな変容を遂げつつある。そうした状況のもとでフリジア語群の存在を支えてきたのは、何よりも話者の意識であり、フリジア人にとっては言語的なアイデンティティーが自らのアイデンティティーの基盤として大きな役割を演じてきたように思われる。ほとんどすべてのフリジア語話者が2言語あるいは多言語使用者となった今、近年のフリジア語の変容は話者の意識の変化と緊密な相関関係にあると言えるが、これにたいするフリジア語の擁護と言語教育は非常に熱心に行なわれており、フリジア語はいわゆる少数言語の言語政策として、フリジア人白身の厳しい自己評価に反して、他言語の場合と比較する限り、もっとも模範的な例のひとつであると言えるようにも思われる。この報告では、報告者の現地での体験を交えながら、フリジア語群の研究の一端を紹介し、少数言語の擁護のありかたと少数言語研究のもつ意義を示したい。同時に、フリジア語学の高い言語学的水準と興味深い言語現象のいくつかに注意を促し、ドイツ語学にとっての示唆を提供するように努めたい。なお、今回は、東フリジア語(Seeltersk/Saterländisch, ドイツ・ニーダーザクセン州・クロペンブルク郡、話者約1,000~1,500人)は報告者の力量不足のために割愛し、西フリジア語 (Westerlauwersk Frysk, オランダ・フリースラント州、話者約40万人)と北フリジア語(Nordfriesisch, ドイツ・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州・北フリースラント郡、話者約9,000~10,000人)の代表的な方言(Idiome)に話題をしぼることをお断りしておく。

第40回例会(研究発表会)

日時:1999年12月18日(土)13:30~17:30

場所: 関西ドイツ文化センター(京都)

<<内容>>

1.研究発表
発表者:片岡 宜行 氏(京都大学大学院生)
題目:『任意の与格』の用法――空間規定詞を伴う所有の与格を中心に――

[要旨]

ドイツ語の「任意の与格」は、文法書において「所有の与格」「利益/不利益の与格」「関心の与格」などに分類した形で記述されている。そして、「所有の与格は身体部位の所有者を表す」「利益/不利益の与格は利害をこうむる人物を表す」といった解説がなされる。しかし、これだけでは与格の用法が十分に明らかにされているとはいえない。本発表では、以下の構文に見られる所有の与格に着目する。
Er klopft ihm auf die Schulter.
Er legt ihm die Hand auf die Schulter.
これらの構文では、Schulter と ihmの間に見られるような身体部位名詞とその所有者の間の「所有の関係」は、例外なく空間規定詞の中の名詞と与格の間に生じる。したがって、このような構文に現れた与格は、身体部位名詞のみでなく空間規定詞全体と強く結びついていると考えられる。このような所有の与格の用法の分析を手がかりに、任意の与格について考察する。


2.報告
報告者:永井 達夫 氏(関西大学非常勤講師)
題目:ドイツ語の授業とインターネット

[要旨]

 2年次以降のテキストやランデスクンデの教材として、学習者のモティヴェーションを高める手段として、さらに学生の自習のためにも、インターネットの利用が有効なのは言うまでもありません。一方でそのための方法論がないため、私たちは各自が試行錯誤を繰り返しながら授業を行っているのが現状です。また各大学での設備の違いなど、ハード面での課題も決して小さくはありません。いずれにせよインターネットが一時的なブームで終わることがない以上、ドイツ語の授業とインターネットの関わり合いは、今後ますます深まっていくはずです。
発表者はこの3年ほどのあいだ、ドイツ語の授業でインターネット(主にホームページ)がどのように利用できるか考えてきました。また実際の授業でも、さまざまな形でインターネットを活用してみました。さらにはドイツ語学習者のために、自らホームページまで開設しました。その過程で明らかになった問題点や、今後の可能性などを、出席者の皆さんといっしょに考えたいと思います。


3.第22回言語学リレー講義
講師:西本 美彦 氏(京都大学)
題目:文法の固定概念を疑ってみる

[要旨]

 現代の諸々の文法カテゴリーを考えてみる場合、多くの修正を受けながらも、その根底には形態論に依拠した伝統文法が生きながらえていることを無視できない。しかしながら、これらの固定化された文法概念が自然言語の現象を説明するのに不十分なのであれば、従来の文法概念に潜在的に内在している矛盾を想定することができる。もしそのような発想をしてみる場合、そして文法の固定概念からの離脱を試みようとする場合、いったい従来の文法概念はどのように組みかえられるべきか、あるいはどのような新しい概念分類が可能になるかについて、考えてみたい。

第39回例会(研究発表会)

日時:1999年10月31日(土)13:30~17:30

場所:関西ドイツ文化センター(京都)

<<内容>>

「21世紀に向けてのドイツ語授業」

1.発表
発表者:中村 直子 氏(大阪府立大学)
題目:若いドイツ語教師のための研修に参加して

[要旨]

 今年の3月から4月まで、ミュンヘンで参加した「若いドイツ語教師のための研修」での体験を報告したい。この研修の趣旨は「erlebte Landeskunde」で、生のドイツを体験しようというものであった。そこで実際、我々参加者が何をしたのかという事の紹介をしたいと思う。つまり、具体的なプログラムの紹介、実際に自分たち(グループ単位)で体験したこと、様々な施設を訪問したこと、グループでの作業など、私の体験の報告からドイツのランデスクンデ、教育に対する姿勢を読みとっていただければ幸いである。最後にドイツの新正書法の現状にも触れておきたい。広範囲ではないが、教育現場での新正書法についてささやかな報告をしておきたい。


2.発表
発表者:藤原 三枝子 氏(甲南大学)
題目:ドイツ語授業のランデスクンデ――中級授業での実践例と、
ベルリン Goethe-Institut での体験学習 (erlebte Landeskunde) 紹介――


3.発表
発表者:Michael Müller-Verweyen氏(関西ドイツ文化センター)
題目:Fremdsprachenunterricht am Goethe-Institut

[要旨]

   In diesem Beitrag wird es um die Antworten des Goethe-Instituts auf Herausforderungen gehen, denen sich der Fremdsprachenunterricht in den letzten Jahren gegenübergestellt sieht. Diese lassen sich benennen mit den Stichworten: Entgrenzung und Globalisierung der Kommunikation durch neue Medien, Individualisierung der Sprachkursbesucher und dementsprechend Differenzierung des Sprachkursangebots, Rückgewinnung zielgruppenadäquater kultureller Inhalte für den Sprachunterricht.

 


4.ディスカッション


5.総会

第38回例会(研究発表会)

日時:1999年5月8日(土) 13:30~17:30

場所: 関西ドイツ文化センター(京都)

<<内容>>

1.研究発表
発表者:石橋 美季 氏(関西学院大学大学院生)
題目:bekommen/kriegen/erhalten + 過去分詞構造の文法的機能

[要旨]

 現代ドイツ語では、次の能動文(a)に対応する受動文は、(b)であって、(c)とはならない。すなわち、能動文の与格目的語を主格主語にした(c)は不可能である。
(a) Seine Mutter schenkte ihm das Buch.
(b) Ihm wurde (von seiner Mutter) das Buch geschenkt.
(c) *Er wurde (von seiner Mutter) das Buch geschenkt.
けれども、(c)との関連を考慮するとき、いわばその代替表現として次の(d)のような文が散見される。
(d) Er bekam (von seiner Mutter) das Buch geschenkt.
しかしながら、文(d)を「受動文」と位置付けるべきか、それとも「目的格補語をとる能動文」と解すべきかについては、大きく議論が分かれている。
本発表では、(d)のような文構造を「bekommen/kriegen/erhalten + 過去分詞構造」という形で一般化し、この構造の位置付けと、その統語的・意味的機能の解明を目標とする。その端緒として、本発表ではこれまでの議論を整理して、問題の所在を明らかにし、その上で、この構造の位置付けについて考察していきたい。



2.報告
発表者:桐川 修 氏(奈良高専)
題目:インターネットを利用したドイツ語教育の可能性について

[要旨]

インターネットが急速に発達している。1997年の統計でもすでに世界で少なくとも1,600万台のコンピュータがこれに接続され、5,000万人以上が定期的に利用しているといわれている。また最近ではインターネットを教育に利用する研究も数多く、その中でも語学教育の分野ではインターネットの特性を十分に生かした新しい教育方法の展開が期待されている。インターネットをどういう形で語学教育に利用するかという点で、次の三つの分野が考えられる。まず各種情報を収集するためのいわば『情報源(Informationsquelle)』としての利用である。以前より語学教育をおこなう際には言語そのものだけではなくその背景となる各種情報、たとえばドイツ語教育にあってはドイツ語圏の国々の政治、社会、文化など(いわゆるLandeskunde)を併せて学習することにより学習効果をよりいっそう高める努力がなされている。このような観点ではインターネットは教授者・学習者双方にとってきわめて有効な手段を提供してくれる。とりわけWorld Wide Webにおかれたホームページはその宝庫ともいえるもので、そこではこれまでの時間的・空間的な制約は完全に取り払われている。たとえば新聞社、ラジオ・テレビ局などのホームページからはリアルタイムでドイツ語圏各国の最新のニュース情報を手に入れることができ、また各州、各都市のサーバからはその土地独特の文化的情報を得ることができる。次に『コミュニケーションチャンネル(Kommunikationskanal)』としてのE-Mailの活用があげられる。これは目標言語たとえばドイツ語を用いたE-Mail交換を通じてドイツ語の作文能力向上を目指すものであり、とりわけ2カ国語を用いたE-Mail Tandem Network (Bochum)ではドイツ語と日本語のE-Mail交換によって日本のドイツ語学習者とドイツの日本語学習者との相互学習の場を提供するものとなっている。三つ目としてインターネットを『授業メディア(Unterrichtsmedium)』として利用することが考えられる。文字・音声・映像を一括して取り扱うことのできるマルチメディアの特性を生かして、インターネットをドイツ語学習の中心に据えるものということができる。この分野でもすでにいくつかのインターネット教材が公開されており、学習者はインターネットに接続されたコンピュータさえあれば教授者がいなくてもドイツ語の学習ができるようになっている。今回はこれら三つの領域の代表的サイトを紹介しながら、日本におけるドイツ語教育の分野への応用について考えてみたい。


3.第21回言語学リレー講義
講師:村木 新次郎 氏(同志社女子大学)
題目:単語の中の対称性

[要旨]

 われわれ人間は、われわれをとりまく世界を認識して、その断片をことばとして切りとってきた。これらの断片のなかには、ものごとを相互にむかいあっているものとして対立的にとらえ、そこにしばしば、ふたつの単語をあたえている。語彙の世界には、相反する二つの側面を対立させる性質があちらこちらに走っている。この2項対立は典型的にあらわれる。ふたつの単語が意味的にむかいあっているとはどういうことなのか。われわれが対義語ととらえているものには、いくつかのタイプのものがあり、ひとおおりではない。対義語には、形容詞、動詞、名詞など、さまざまな品詞に属する単語間になりたつものがあるが、それらのいずれについても、あるものの属性を特徴づけていると言うことができる。それらの二項対立の周辺には、融合や中和の現象を始め、対立項がなんらかの理由で欠けているなど、多様なすがたをみとめることができる。単語の世界にみられる二項対立のあり方を、対称と非対称という視点からながめてみたい。


4.総会

第37回例会(研究発表会)

日時:1998年12月12日(土) 13:30~17:30

場所: 関西ドイツ文化センター(京都)

<<内容>>

1.研究発表
発表者:金子 哲太 氏(関西大学非常勤講師)
題目:ドイツ語の現在時称の位置付けについて

[要旨]

 現代ドイツ語の文法書で、時称について詳しく調べてみると、個別の項目には個々の意味用法が列挙されるに留まっているものから、時称体系における位置付け、さらに時称そのものの存在を問う根本的な問題にまで言及されているものまであり、統一性が見られない。特に現在時称は、その意味用法が他の時称に比べ多岐にわたっていることから、異なった視点からの記述がみられ、体系的に理解することは難しい。
本発表では主要な文法書を複数用いて個別の事例を考察することによって、現在時称に対して従来とられてきた基本的な考え方を再度確認し、そこに生ずる幾つかの問題点を指摘する。それらを考慮に入れた上で試論的に新しい分類が提案される為の手掛かりとしたい。


2.報告
報告者:河崎 靖 氏(京都大学)
題目:Keltologie の現在

[要旨]

神秘性ばかりが強調されてはなるまい。それでも、今日、アイルランド(愛蘭土)に向けられる最大の関心がそれである。ケルト語は、日一日と衰退への道を辿りながらも、なおヨーロッパの各地に過去の豊かな遺産を残す、魅力に満ちた極西のことばである。そもそも、現在ヨーロッパの中心に陣取るゲルマン語派の名称Germaniaも、所詮、古くはケルト語で「川(ライン川)向こう」という意にすぎなかった。 ケルト人は、紀元前900年頃、今のドイツの地に東方から進入したと言われる(それ以前の先住民については詳しいことはわかっていない)。その後、ゲルマン人が北欧の地から東西に展開しながら南進するに伴い、ケルト人の一部はドイツ西北部からガリア (Gallia) を経てブリテン島を目指して移住し始めた。今日、ケルト学における議論の中心は、ケルト性 (celticity)の再考という問題にあるように思われる。すなわち、ケルトの古い文献(古アイルランド文献)は、その文献以前の時期からの異教的口承文学であるとみなすべきか、あるいは、キリスト教的創作活動(書写的)と捉えるべきかという争点である。今回の報告では、この問題を中心にKeltologieの現況について述べたい。


3.第 20 回言語学リレー講義
講師:脇阪 豊 氏(元天理大学教授)
題目:対極性と曖昧性

[要旨]

 ほぼ以下のようなプログラムを予定しています。第 1 部では、若干の歴史的な整理をした上で考え方の共通事項を設定してみるつもりです。第 2
部では、現在の会話分析で関心が持たれている、Gesprachsrhetorik
の観点からいくつかの事例研究を紹介し、今後に期待できる言語研究への提案を、「対極性と曖昧性の」観念のもとで行いたいと考えています。プログラムにはいくらか変更があるかもしれませんが、大筋のところをあらかじめお知らせします。ご批判やご提案を期待しつつ。

Motto (Wittgenstein: “Philosophische Untersuchungen” 76. 1960: 329)

 Wenn Einer eine scharfe Grenze zöge, so könnte ich nicht als die anerkennen, die ich auch
schon immer ziehen wollte, oder im Geist gezogen habe.
第1部:歴史的および現在的概観 (1950-1990)
人間の知的営みは、テーゼとアンチテーゼの積み重ねにより展開する。
◆ 初期の展開 (言語考察のための基礎作業)

      • 1. 1957 N. Chomsky:統語論から意味論へ

    「言語の構造についてのこの純粋に形式的な研究は意味論研究にもある種の興味深い含みをもっていることを示唆しよう…。」(『文法の構造』:1)

      • 2. 1964 P. Hartmann:センテンスからテクストへ

    Sprache in Textform ist also eine Zustandsform wahrnehmbar gemachter oder gewordener Sprache.

    (“Bogawus” 2, 15-25)
  • 3. 1673 S. J. Schmidt : テクスト言語学からテクスト理論へ

言語考察をその関連領域に広げることの提唱 (“Texttheorie” 1973)

◆ 後半での傾向(言語学とその関連分野):言語学と心理学、言語学と社会学など
4. 行為理論と認知科学:コミュニケーション科学
5. 言語と情動の関係:ネットワークの考え方(関係性へ新たな視点)
第2部:原理と実際 Polaritätと Ambiguität

      • 1.モデル(「理想型」)は2種の原理に関与している。

    1.人間の選択能力の特徴と限界2.「論理」的方法の必要条件

a. モデルの調整的機能:「依拠と判断の基準」を与えながら、統一的な方向を探る。
b. モデルの操作的機能:調査的機能とコントロール機能
◎理想型のモデルから実践型のモデルへ:対極性から中間点の位置づけ→曖昧性の追求

    • 2. 事例研究

テクストの展開において、ある「表現単位」がその「意味単位」としての役割を変化させていくこと

    • 3. 展望と提案

1.方法論的に:マルチメディアの言語研究上の可能性2.対照研究として:Ich-Origo に対する Wir-Origo

第36回例会(研究発表会)

日時:1998年9月26日(土) 13:30~17:30

場所: 関西ドイツ文化センター(京都)

<<内容>>

シンポジウム「認知論的視点から見た意味の問題」

1.研究発表
発表者:安藤知里氏(京都大学大学院生)

題目:認知意味論からみた所格交替現象の一考察

[要旨]

 認知意味論は、言語の意味的側面は人間の認知様式(知覚と認識のありよう)
を体系的に反映し、それを言語の形式的側面が実現するという立場である。一方の極に外的現実があり、もう一方の極には言語表現がある。その両極を結ぶ回路に経験世界がある。言語表現は外的現実を忠実に映し出すのではなく、認知した限りの外的現実を映し出すのだと考えられる。そこから言語普遍的な文の意味内容の骨格構造を解明することが目標である。
本発表では、英語とドイツ語の所格交替現象を取り扱う。例えば以下の例文、
(1a) John loaded hay onto the truck.
(1b) John loaded the truck with hay.
(2a) Hans lud Heu auf den Wagen.
(2b) Hans belud den Wagen mit Heu.
(1a)、(2a)の解釈には「トラックの一部に干し草を積む」、そして(1b)、(2b)の解釈には「トラックいっぱいに干し草を積む」と解釈される。これは、後者を「全体的」( holistic
)解釈、前者を「部分的」( partitive ) 解釈とみなされる。所格交替形の研究は、様々な立場からこれら二つの異なる統語構造における「全体的」か「部分的」かという意味解釈の差異に関して、定式化および概念化を目指す試みがなされてきた。例えば、それはFillmore (1968,1977)に代表される格理論による考察や、またJackendoff(1990)に代表される語彙概念構造を用いた形式化の試みである。しかし、これらの試みは、どのような場合に「全体的」または「部分的」解釈がなされるのかという本質的な問題を解明することができないという難点がある。
認知意味論において、文は語と談話をつなぐ回路とみなされている。つまり文の意味には語彙的側面と構文的側面と発話的側面が深く関わりあっている。これら3つのレベルにおいて意味と形式の適性関係はどのように成り立っているか、この問題を視野に入れる必要があるが、本発表では主として語彙的側面と構文的側面に注目する。所格交替現象において、(1b) (2b)の例文はJohn loaded the truck with a book./Hans belud den Wagen mit einem Buch.になると非文になることから、とりわけwith-/mit-句にどのような成分がくるかを考察し、 「全体的または部分的解釈がなされる要因は何であるか」を明らかにしたい。



2.研究発表
発表者:砂見かおり氏(大阪外国語大学大学院生)

題目:イディオム使用からみた人の認知能力について

[要旨]

 従来、ドイツのイディオム研究では、イディオムを分析する際の基準としてイディオム性、固定性、再生産性という諸特徴が用いられてきた。また近年では、比喩研究への関心の高まりに連動するかたちで、イディオムの比喩性に注目した研究もみられるようになった。イディオムの比喩性に着目した研究においては、一般的な比喩とイディオムで
は、次のような点に違いがあると考えられている:

(1)イディオムはイディオム性、固定性などの特徴をもっているために、代入等の統語的操作が不可能であるという点で比喩表現とは異なる。

(2)また比喩表現はイディオムとは異なり、文脈や状況によって文字どおりの意味にもメタファーの意味にも解釈できる。

しかし実際のイディオム使用をみると、統語的な操作を加えられたものや、文脈や状況に依存したものも存在することに気づく。こうした使用は、「凝結したものを再び溶かす」、つまりイディオム化の過程を溯った結果とみることができる。また別の見方をすれば、このような使用例は、固定化されたものを逸脱させた結果と考えることもできる。いずれにせよここで重要なことは、こうした使用を可能にするためには人の柔軟な認知能力が不可欠であるということである。今回の発表では、まず伝統的に取り扱われてきたイディオムの特徴を概観し、その後で更にイディオムの使用から見た人の認知能力について考えてみたい。


3.講演
講師:杉本孝司氏(大阪外国語大学教授,英語学)
題目:言語理解と認知モデル

[要旨]

 形式意味論における構成性原理とは「ある表現全体の意味はその表現を構成する部分の意味とそれら部分の結合様式のみから決定できる」とするもので、西洋論理哲学の流れを組む形式意味論のもっとも特徴的な作業原理である。しかし言語が我々人間の認知活動の一側面であることを考えた場合、このような構成性の原理に縛られ、あらゆる意味現象をこの原理を忠実に守ることによって説明しようとする試みには、不自然な分析や結論に陥ってしまう可能性が待ち受けていることも多いと言えよう。なぜなら、言語の意味理解には我々人間の認知活動があらゆる点で関連しており、単に部分を構成している言語表現が「それ自体で独立して持つ意味」の形式的結合様式によってのみ全体の意味が決定されるような非能率的で非効率的な認知活動は皆無に近いのではないか、と考えられるからである。人間は、そのような単純な情報処理パターンよりもはるかに柔軟で効率的で能率のよい且つ人間的に有意義な情報処理の方策を備えもっており、認知活動の一側面としての言語活動にそのような能力が活用されていないとは考えにくい。この「柔軟で効率的で能率のよい且つ人間的に有意義な情報処理」とは例えばどのようなものであろうか。この点に関して、「認知モデル」を設定しその一般的な特徴を言語理解や概念習得との関係で概観していきたい。

第34回例会(研究発表会)

日時:1997年12月20日(土) 13:30~17:30

場所:関西ドイツ文化センター(京都)

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シンポジウム「翻訳・通訳はどこまで可能か」

1.発表
発表者:藤涛 文子 氏(神戸大学)
題目:「マルチメディア翻訳」の特性と翻訳例

[要旨]

 翻訳行為によって起点テクストと等価な目標テクストを作り出すことは常に要請される一方で、現実にはそうした等価翻訳を困難にする要因がある。等価は内容等価・形式等価・動的等価(効果の一致)など様々なレベルに分けて考えられ、重要度により何を優先するか、何を犠牲にするかが決定される。映像・音響を含むいわゆる「マルチメディア翻訳」(K. Reiss*2)の場合、起点テクストに含まれる情報は、どのように取捨選択されるのであろうか。
報告では、「マルチメディア翻訳」の特性をまとめ、映画と歌の翻訳例を用いながら、目標テクストのコミュニケーション媒体が等価翻訳に加える制約について問題提起をしたい。


2.発表
発表者:松原 敬之 氏(フリーランスのドイツ語翻訳通訳者)
題目:同時通訳って、どんなもの?

[要旨]

 この発表の組立ては、以下の通り。
1.まず、私が自ら手がけた同時通訳の業務を数例紹介する。現在20名前後いると思われるドイツ語同時通訳者は、それぞれ仕事への関わり方が異なるので、私の場合はどうかということを知ってもらう為の紹介である。
2.先に紹介した業務をもとに、どのようなスキル、どのような準備が具体的に求められているかを、個々に説明していく。
3.先に説明したスキルを修得するために、どのような練習、どのような注意が必要かを述べる。
4.関西のドイツ語通訳者達の勉強会における活動を紹介する。
東京では、自ら同時通訳業務をこなし、且つ同時通訳者の養成に尽力しているゲルマニストがおられ、ドイツ語通訳界のインフラは関西よりも充実している。関西でもそのようなインフラの整備を期待したい。


3.発表
発表者:飯田 仁 氏(ATR音声翻訳通信研究所)
題目:協調複合翻訳方式と多言語チャット・システム:Chat Translation System/p>

[要旨]

話し言葉の自動翻訳を目指すとき、その翻訳過程を説明するモデルが望まれます。しかし、構成的な説明原理に基づいた規則を網羅し、多様な言語表現を記述してモデルを作ることは難しいようです。自然な発話には、文法規則だけでは容易に捉え難い現象が多々現れていて、文法的に不完全であったり、語の組合せから句や文の意味を論理的に形成できないこともあります。また、疑問、命令、様相など、広義の意味での「ムード」に関する表現の取り扱いも不可避であります。 このような状況のもと、「協調融合翻訳方式」と呼ぶ新しい翻訳方式を提案しました。この方式の位置づけや意味合いについて、機械または計算機を使った自動翻訳研究の歴史を振り返りつつ、説明いたします。この方式に基づいて、日本語と英韓独語の間の話し言葉翻訳実験システム”Chat Translation”を作っています。現在、このシステムは音声翻訳の各種実験に使われています。ビデオを使って音声翻訳の一端もご紹介いたします。

第33回例会(研究発表会)

日時:1997年9月13日(土) 13:30~17:30
場所: 関西ドイツ文化センター(京都)
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1.研究発表
発表者:高田 博行 氏(大阪外国語大学)
題目:言語の「本来形」という思想と言語の現実
――17世紀後半における格変化を例にして――

[要旨]

 屈折素(Flexiv)は音節をなし明確に屈折変化を表示するべきである(つまり dem Baum ではなく dem Baume、des Tags ではなく des Tages、unsern Kindern ではなく unseren
Kindern)という17世紀後半の文法家たちの思想は、同じ時期に言語の現実において格変化語尾の e音が組織的に復旧されたプロセスと符合し、その点では言語の理論と言語の現実とが一致対応した。しかし他方では、強い変化ほど古典語に近くそれゆえ正しいという思想のために、文法家たちは der guter Mann, die gute Leute, gutes Weins, derer Maenner, die Buergereといった多重格変化(Polyflexion)のほうをどうしても優先させがちで、この点では単一屈折(Monoflexion)への傾向を明確にしていた当時の支配的な言語事実に反した。


2.シンポジウム「日本のドイツ語教育は滅びるか?」

報告者:西本 美彦 氏(京都大学)
題目:京都大学でのドイツ語教育の現状とその改善の取り組みについて

報告者:中村 直子 氏(大阪府立大学)
題目:工学部単位減に対する大阪府立大学の対応と現時点での成果

報告者:橋本 兼一 氏(同志社大学)
題目:同志社大学におけるドイツ語教育――現状・成果・課題――

[報告要旨]

 京都ドイツ語学研究会の1986年の第一回例会でドイツ語教育の危機についてのシンポジウム(自由討論「いま大学でドイツ語は必要か?」)が行われて、すでに十年余になる。その後1995年7月に「大綱化」を主眼とした大学設置基準の大幅な改訂が行われ、各大学では教養教育のカリキュラム編成やその実施体制に関わる改革が急速に進められた。その影響をもろに被った科目の一つはいわゆる「第二外国語」である。なかでも従来からほとんどの大学で履修されてきたドイツ語の衰退ぶりはまさに劇的であると言ってもよい。
本シンポジウムでは高等教育における第二外国語の一環としてのドイツ語に焦点を合わせながら、国立大学、公立大学、私立大学での外国語教育の現状とその改善のための取り組みについて報告を行う。それをもとに、国際化の進む現代社会において外国語教育はどのように位置づけられなければならないか、そして外国語教育の理念を、実践的かつ効果的に遂行するためには、なにが求められるかについての具体的提案を含んだディスカッションを行いたい。