例会

第52回例会(研究発表会)

日時:2003年12月20日(土)13:30~17:30

場所: 関西ドイツ文化センター(京都)

<<内容>>

1.研究発表
発表者:塩見 浩司 氏(関西大学非常勤講師)
題目:ゴート語の動詞接頭辞 ~統計的考察の試み~

[要旨]

ゴート語は最古のゲルマン語として最もまとまった資料を提供していることは論を待たない。その資料の大部分はコイネーで書かれた新約聖書の翻訳であるが、これは原典であるギリシャ語に極めて忠実に従っているものとして知られている。ここで興味を引くのは動詞の問題であろう。ギリシャ語は動詞の活用体系が非常に豊富であり、アスペクトを有している。このような言語で書かれたものを動詞の活用体系に乏しいゴート語に翻訳する際にはそれなりの工夫が必要であったろうことは想像に難くない。そういった工夫のひとつとして動詞接頭辞の使用が考えられるのではないか。本発表はゴート語の動詞およびその接頭辞の意味や機能について考察を試みるものであるが、その際には新約聖書中に見られるゴート語動詞の用例をギリシャ語原典のそれと対比させるため現在作成中の『ゴート語・ギリシャ語動詞データベース(仮)』を用いる。


2.研究発表
発表者:坂口 文則 氏(福井大学)
題目:翻訳によって伝達される情報量を計量する試み

[要旨]

数理科学と言語学の間にはさまざまな接点を探ることができるが、その一つとして、C. Shannonらによって「情報通信の数理的理論」として20世紀半ばに定式化された「情報理論」が、自然言語の分析とどのような接点をもちうるかを考えてみたい。一つの試みとして、時制体系の異なる言語間の翻訳において動詞の時制に関する情報がどれだけ伝達されるのかを、情報理論で定義される「相互情報量」を用いて量的に測定することを試みる。また、自然言語をこのアプローチに載せる際に解決しなければならないいくつかの問題点についても触れる予定である。


3.研究発表
発表者:成田 節 氏(東京外国語大学)
題目:ドイツ語と日本語の受動文をめぐって

[要旨]

ドイツ語と日本語の受動文を比較しながら両言語における受動文の意味的な特徴を探り出すことを目指す。多くの文法書には、受動文と能動文は視点が異なるという叙述が見られるが、この「視点」という概念の再検討がまず必要だ。ここでは「注視点」(どこを見ているか)と「視座」(どこから見ているか)の区別を明確にした上で、ドイツ語の受動文の特徴を捉えるさいには「注視点」が重要だが、日本語の受動文の特徴を捉えるさいにはむしろ「視座」が重要になるという考えを軸に、結合価の減少(ドイツ語の受動文)と増加(日本語の受動文)の対立、被害の3格(Dativ incommodi)と日本語の迷惑受身の対応などの問題にも触れながら考察を進める。また、単なる理屈だけに終わらないように、日本語の小説の原文とドイツ語訳を用いて、それぞれの受動文が実際にどのように用いられているかを観察する。

第51回例会(研究発表会)

日時:2003年9月27日(土) 13:30~17:30

場所: 芝蘭会館 国際交流会館

<<内容>>

1.ドイツ語教育シンポジウム

司会者:湯浅 博章 氏(姫路獨協大学)

報告1
報告者:岸川 良蔵 氏(鳥羽商船高専)
題目:項目小出し方式――45分授業という条件のもとで――


報告2
報告者:吉村 淳一 氏(大阪市立大学非常勤)
題目:学生との対話


報告3
報告者:本田 陽太郎 氏(奈良県立医科大学)
題目:ドイツ語力と専門ドイツ語


報告4
報告者:神谷 善弘 氏(大阪学院大学)
題目:ドイツ語の授業を再考する――ドイツ語教育の底辺を拡大するためのいくつかの方法――


2.自由討論会

[シンポジウム要旨]

 旧文部省によるいわゆる「大綱化」以来、ドイツ語教育をめぐる環境は激変した。全国の大学、高専、中学・高校のカリキュラムが改革され、これとともにドイツ語教育は「危機的な」状況に陥った。こうした状況を受けて、教授法の研究や授業の見直しが進められ、新たな教材やさまざまな機器の活用法が模索されてきた。日本独文学会やドイツ語教育部会、ならびに本研究会でも何度もシンポジウムや研究発表が行われ、これからのドイツ語教育のあるべき姿について議論されてきた。けれども、これまでの試みは素材と道具をどのように改良するかという範囲に留まっていて、いわば食材と調理器具を使ってどのような料理を作り出すか、つまりシェフの腕に関わる部分の議論までには至っていないように思われる。我々がドイツ語教師として日々教壇に立つ以上は、いかに腕を磨くかという問題は避けて通ることのできない問題であり、今後はこの問題に関する議論が必要になってくるであろう。そこで、この問題に対する本研究会での試みの第一歩として、今回のシンポジウムを企画した。
今回のシンポジウムでは「効果的な授業」ということをテーマに取り上げているが、どのような授業を「効果的」と判断するかの基準は、もちろんカリキュラム等の環境によって異なるであろう。しかし、どのような環境に置かれようと、それぞれの教師が行う授業が効果的かどうかはその授業を受けている学生が判断するのであり、この点では環境によって左右されるものではない。こうした基本認識に立ち戻り、「効果的な」授業にするためにどのような工夫をしたり、どのような問題を抱えているかということを忌憚なく話し合い、そこから参加者の方々が何らかのヒントを得られるような機会にしたい、というのが今回のシンポジウムの趣旨である。シンポジウムでは、まずそれぞれの報告者からおおよそ以下のような項目についての具体的な工夫点、問題点が示され、その後報告の内容をもとにして会場全体で討論および情報交換を行いたい。今回のシンポジウムが参加者の方々の、ひいてはこれからのドイツ語教育の改善につながる機会となることを関係者一同願って止まない。

  • 学生のニーズの把握とその授業への反映
  • カリキュラムに応じた授業計画の立て方
  • 授業展開の仕方(年間、学期、毎回)
  • 文法項目や四技能の取り扱い方
  • テキストの選択
  • 副教材・資料や機器の活用の仕方
  • 授業以外のケアのやり方
  • 授業に関する評価
  • これからのドイツ語教師に求められる能力
  • 学生の受講マナーを改善するための方策 等

第50回例会(研究発表会)

日時:2003年6月7日(土) 14:00~17:00

場所: 関西ドイツ文化センター(京都)

<<内容>>

1.研究発表
発表者:羽根田 知子 氏(京都外国語大学)
題目:damit文の時制について

[要旨]

主文と副文から成る文を書く時、副文の時制をどうすればよいのか迷うことがある。例えば、「私は、彼女が風邪を引かないように、私の上着を貸してあげた」という文を書く場合、「彼女が風邪を引かないように」の部分に接続法を用いないとすれば、現在形で表すのか、あるいは過去形で表すのかという問題が生ずる。又、主文と副文の時制が共に過去形であっても、接続詞がdassとdamitでは、主文と副文によって表される事柄の時間関係が異なる。
ドイツ語には、いわゆる「時制の一致」がないと言われているが、ではどうすればよいのかと問われると、即答するのは難しい。本発表では、damit文の時制を観察することから始めて、一定の傾向を導き出し、さらに、時制が一致しているように見える文を、「時制の一致」という言葉を用いないで如何に説明しうるかを考察したい。

 


2.第26回言語学リレー講義
発表者:武市 修 氏(関西大学)
題目:中高ドイツ語叙事詩に見られる表現の多様性

[要旨]

ドイツ語の歴史の中で中高ドイツ語の時代は、独特の様相を呈している。つまり、一方では総合的構造から分析的構造への言語の一般的な変遷の過程をたどるとともに、他方では、脚韻文学なるが故の独特の表現形式が並存しているのである。詩人たちは制約された条件の中で彼らの詩的世界を表現するために、様々な手段を用いた。本発表では、宮廷叙事詩を中心に、前者の一例として、分離動詞への過渡的な現象の一端を垣間見、後者の例として、押韻しリズムを整えるための動詞の縮約形(例えば、過去分詞gesaget, gelegetなどの代わりのgeseit, geleitなどの形)やさまざまな迂言法(例えば動詞の繰り返しを避けるための代動詞としてのtuonの用法など)を例示し, また、その中間的な現象として、文法化されつつある中で元の意味をも残している完了や接続法の多様な用法など、語形、語順、統語法の面から当時の宮廷叙事詩にみられる独特の表現について紹介してみたい。


3.定例総会

※この会で会誌第2号が発行された。

第49回例会(研究発表会)

日時:2002年12月14日(土) 13:30~17:30

場所: 関西ドイツ文化センター(京都)

<<内容>>

1.研究発表
発表者:長縄 寛 氏(関西大学大学院生)
題目:古高ドイツ語、中高ドイツ語の不定関係代名詞 sô wer sô, swer について

[要旨]

 古高ドイツ語の不定関係代名詞 sô wer sô(~するところの者は誰でも)は、中高ドイツ語期に至り、swer へと簡略化され、14世紀には werとなる。本発表では、古高ドイツ語期の作品である『オトフリトの総合福音書』と、中高ドイツ語期の作品であるハルトマン・フォン・アウエの『イーヴァイン』を取り上げ、これら二つの作品に見られる不定関係代名詞が当時どのように用いられていたのか、具体的な例文を挙げながら述べてみたいと思う。


2.第25回言語学リレー講義
発表者:石川 光庸 氏(京都大学)
題目:『ヘーリアント』詩人の語り口

[要旨]


これまでの人生そのもののごとく、教員としても研究者としてもディレッタントを貫いてきたこの私に、真摯な言語研究者集団を前にしていったい何を語ることができるでしょうか。幸い研究発表ではなく講義のようにやってよろしいとのことなので、いつもの学生を煙に巻いている(当方にその意図はないのですが―)情景の一端をお目にかけることになるでしょう。まず初めに(私事で恐縮なのですが)『ヘーリアント』にたどりつくまでの遍歴、いや彷徨についてもちょっと触れ、その後『ヘーリアント』詩人の語り口という視点からいくつか考えていることをお話しいたしたいと思っております。その多くは印象批評の域を出ていないのではありますが。


3.研究発表
発表者:成田 節 氏(東京外国語大学)
題目:結合価と構文――ドイツ語と日本語の対照――

[要旨]


日本語と比べながらドイツ語の構文の特徴を照らし出すという大枠で、この報告では以下のような観点を中心に、できるだけ具体的に考える。(1)動詞の結合価が文構造を決めるという仕組みは両言語でどのように異なるか。(2)文構造が特定の文意味を形成するという仕組みは両言語でどのように異なるか。(3)視点と構文の関係は両言語でどのように異なるか。(まだまだ研究の途上です。様々な観点からのご指摘がいただければ幸いです。)

第48回例会(研究発表会)

日時:2002年9月14日(土) 13:30~17:30

場所: 関西ドイツ文化センター(京都)

<<内容>>

シンポジウム「ドイツ語教育への新たなアプローチ――その実践的可能性――」

司会:河崎 靖 氏(京都大学)

報告1
報告者:桐川 修 氏(奈良高専)
題目:ビデオ教材のデジタル化について

[要旨]

ここ数年、各出版社からビデオ付きの教材が続々と出版されている。美しい映像で学習者を惹きつけ、ドイツ語の学習とならんでドイツ語圏のLandeskundeをもあわせて学べるようになっているものが多い。ただ、ビデオ教材を学習者に提示する際にはクラス全員に、一斉に上映するという方法がとられているように思われる。この場合、たとえばもう一度最初から見たい、とか、ある部分だけを繰り返し見てみたい、などの学習者個人個人の希望をかなえるのは難しいであろう。このような希望をある程度かなえるために、筆者はビデオ教材をデジタル化し、ホームページで各人が自由に視聴できるような方法を採っている。今回はこの方法を皆さんにご紹介したい。



報告2
報告者:清水 政明 氏(京都大)
題目:最先端技術を用いて

[要旨]

2002年2月より京都大学学術情報メディアセンターに新たに導入されたコンピュータ支援型語学教育(CALL)システムの紹介を通じて、CALLの可能性について考察する。特に、マルチメディア・マルチリンガルな環境への対応を考慮しつつ、システム主導型ではなく、コンテンツ重視の語学教育を実現するためのシステム構築の可能性について、これまでの経緯を踏まえて考察する。



報告3
報告者:北原 博 氏(大阪市立大・非常勤)
題目:自作CALL教材を使用した授業の実際

[要旨]

コンピュータを授業に取り入れる際に、教材は大きな問題となる。報告者はこれまで普通教室用に作られた教科書をCALL教材にアレンジして使用してきたのであるが、そうした実践を通して作成してきた教材を紹介したい。併せて、授業でコンピュータを使用することによって現れる学習効果、授業形態の変化などについても検討してみたいと考えている。


報告4
報告者:吉村 淳一 氏(大阪市立大・非常勤)
題目:TA の立場から

報告5
報告者:森 秀樹 氏(大阪大・院生)
題目:学生の本音

討論会

第47回例会(研究発表会)

日時:2002年5月25日(土) 13:30~17:30

場所: 関西ドイツ文化センター(京都)

<<内容>>

1.研究発表
発表者:金子 哲太 氏(関西大学非常勤講師)
題目:『2重過去完了形』の位置付けについて

[要旨]

 ドイツ語には一般に、6つの時称形式がみとめられているが、ときとして完了形が2重に構造化されたようにみえる統語形式が現れることがある。
a) Er hat die Arbeit schon abgeschlossen gehabt.
(彼は仕事をもう終えてしまっていた。)  G.Helbig /J.Buscha 1994 S.160

b) Frau R. hatte den Pachtvertrag gekündigt gehabt.
(R女史は用益賃貸借契約を解約していたのだった。)  H-W. Eroms 1984 S.347

これらの統語形式のうち、一般に、a)タイプのものは、とりわけ話し言葉での使用がみとめられる一方、文章語においては
b)タイプのような表現が散見される。こうした統語現象が現れる頻度は絶対的に低いといわなければならないが、文法書ではすでに16世紀にその記述がみられ、等閑視されつつも現代に至るまでその存在は文法家たちにみとめられてきている。個別の研究対象として文法研究のなかで扱われ始めるのは1960年代の初め頃からであり、それぞれ異なった立場で研究がなされてきた。たとえば、上部ドイツ語に生じた「過去形消失」との関連で、その出自や体系的位置付け、あるいは標準語か方言かの問題について、一方またフランス語にみられる類似現象との対照比較や、時称意味論的、アスペクト意味論的視点からの個々の意味用法の抽出などである。
本発表では、考察の対象をb)タイプに絞り、その意味用法についてこれまで議論されてきた幾つかの解釈を確認したうえで、この統語形式が担う文法的な役割について考察することにしたい。そのさい、完了構造を持つ時称形式との形態論的・意味論的関係から、時間性とアスペクト性という観点を考慮に入れ、ひとつの試みとして動詞カテゴリー内における位置付けを行ってみたい。



2.第24回言語学リレー講義
発表者:三谷 惠子 氏 (京都大学)
題目:ロシア語およびスラヴ語の動詞の<体(たい)>について

[要旨]

0)はじめに。スラヴ諸言語の動詞には<体(たい vid)>がある。「体」とはどのようなものなのかを、形態統語論的特徴および意味機能の両面から取り上げ、文法範疇としての「アスペクト」について考える材料を提供したい。

1)<体>の形態論的特徴について。ドイツ語やロシア語で名詞にそれぞれ固有の文法的性があるのと同じように、スラヴ語においては動詞が<体>という文法的特性をもつ。すべての動詞は完了体か不完了体のどちらか(機能上両方の体の意味を持つ両体動詞が若干ある)であり、その基本的意味は、完了体が事象を「完結した全体」として表し、不完了体はそのような完結の意味を含まずに提示することにあるとされる。完了体と不完了体は<体>のペアを形成するといわれるが、体の形態論的特徴は部分的にドイツ語の
Aktionsartの形成と共通する。そこでドイツ語との共通点、そして根本的な相違点はどこにあるのかを明らかにする。

2)<体>と語彙意味の関係について。動詞の体はペアをなすとはいえ、もちろんすべての動詞で体のペアが形成されるわけではない。ここには動詞語彙の意味と、完了体、不完了体それぞれの<体>の意味が関与する。この現象に関連して、どのような問題があるかを、動詞の項構造の関連も含めて簡単に述べる。

3)<体>の定義について。スラヴ語学、とくにロシア語学においては<体>の定義付けが大きな議論であり続けた。それはなぜなのか。体の用法上の制約や体の異なりによって生じる意味的違いといった言語事実を指摘しながら、<体>の定義に関する問題について述べる。

4)スラヴ語間の違いについて。動詞の体の存在はスラヴ語全体に共通するが、個別の用法にはさまざまな違いがある。こうした違いのいくつかを例に、体の表す意味の、体に固有の本質的部分とそうでない部分について述べる。


3.総会

[議題]

  • 1.各委員からの報告
  • 2.新委員の選出

第46回例会(研究発表会)

日時:2001年12月15日(土) 13:30~17:30

場所: 関西ドイツ文化センター(京都)

<<内容>>

1.ドイツ語学コロキウム《話者・人称・主語をめぐって》

コーディネーター:西本 美彦氏(京都大学)

研究報告1
報告者:岸谷 敞子氏(愛知大学)
題目:〟Satzbildende Person “(構文の主体)――あるいは〟Die Origo des Zeigfeldes “
(指示場の原点 ― 表現行為の起点)としての〟Sprecher“(話者)について――

[要旨]

 個別言語の使用法や文法規則を記述するとき、私たちは「話者(Sprecher)」の概念をことさら術語として定義することもなく使用するのが普通である。「話者」であることがどういうことであるか、各人は自分自身が話者であるときの体験を通して自明のように了解しているからである。しかし、西欧伝統のコミュニケーション・モデルにしたがって「一人称単数=発信者の役割」と意識する場合の「話者」と、日本語で「自発」や「受身」の態を選んで叙述内容を形成する言語主体が「自分=表現行為の起点」と自覚する場合の「話者」とでは、「話者」についての了解が同じであるとは言えない。人称三分法にしたがって述語を形成しなければならないドイツ語の話者にとっては、Karl Bühler の「指示場の原点(Die Origo des Zeigfeldes)」によって示唆されるような「表現行為の起点」を、まだ人称に分類されていない「主体としての自分」と意識することは、かなり困難であるのかもしれないが、このような「表現行為の起点」としての「話者」の機能を想定することは、日本語のみならずドイツ語の文法研究にとっても必要であり、有用でもあるように思われる。両言語のいくつかの例を手がかりにして、「話者」と「主語」の言語普遍的な関係について考えてみたい。



研究報告2
報告者:湯浅 博章氏(姫路獨協大学)
題目:構文形成と「話者」の機能

[要旨]

 言語研究の中で「話者(Sprecher)」という概念に言及されるのは、心態詞やモダリティのような語用論的研究の中であることが多い。その場合には、「話者」とは発話の場面に存在する人物を指していて、伝達内容(すなわち、言語表現)を発話して伝達する送り手として理解されている。確かに、このようなコミュニケーション・モデルにおける発信者としての役割も「話者」の特徴ではあるが、こうした理解では、語用論的に付与される表現・意味以外の伝達内容の核、つまり叙述内容そのものを形成する主体としての「話者」の姿は見えてこない。「話者」は発信者であると同時に、現実世界を言語化して叙述内容を形成する主体でもあるのは確かである。そうすると、叙述内容の形成にも「話者」による現実世界の捉え方・切り取り方が何らかの形で反映されていると考えられるが、こうした観点からの構文研究はまだ進んでおらず、これからの重要な課題であると言える。本発表では、日本語とドイツ語に見られる例を手がかりにして、叙述内容の形成に際して「話者」がどのような役割を果たしているのかを探ることにしたい。


2.臨時総会

第45回例会(研究発表会)

日時:2001年9月22日(土)13:30~17:30

場所: 関西ドイツ文化センター(京都)

<<内容>>

1.研究発表
発表者:井原 聖 氏(京都大学院生)
題目:分離動詞の体系的な記述に向けての考察――auf-動詞、an-動詞を中心に ――

[要旨]


本発表では、その対象をPartikel: auf-, an-に限定し、これらのPartikelが通時的な意味変遷の過程で示す基本的な傾向をもとに、共時的にも同様の傾向を指摘でき、それを体系的に記述することが可能であるのかを探りたい。そこで、通時的な観点からは、Partikel のうちで、現在もはやその原義が感じられず、そしてまたそのようなPartikelと結合し分離動詞をなしているもののうち、基礎動詞の原義がもはや感じ取れなくなった、つまり意味的に高度に発達した動詞と考えられるaufhören, anfangenを中心に考察する。これらのいわゆる分離動詞の意味変遷を体系的に確認することにより、現在「分離動詞」というカテゴリーに一括されている動詞は、意味用法的には一見様々なタイプのものが混在しているかのように見えるが、それらの意味用法の背後では、統一的なメカニズムが働いているのではないかということを論じたい。


2.研究発表
発表者:黒沢宏和氏(琉球大学)
題目:古高ドイツ語『タツィアーン』における法の用法について――特にラテン語との法の相違を中心に――

[要旨]


『タツィアーン』は、いわゆる総合福音書(Evangelienharmonie)であり、830年頃フルダでラテン語から古高ドイツ語へと翻訳された。従って、ラテン語のオリジナルに極めて忠実に訳されている。しかしながら、法(Modus)に関しては、オリジナルと異なった箇所が散見される。そこで本発表では、この法の相違の問題をモダリテート(Modalität)の側から考察したい。なぜなら、翻訳者の心的態度が法を選択する際に重要な役割を演じていると考えられるからである。


3.研究発表
発表者:黒田 廉 氏(富山大学)
題目:動詞接頭辞 ab-と文意味

[要旨]


ドイツ語において、各動詞接頭辞は形態的には一つでありながらも、基底語との結合によって多様な意味の動詞語彙をつくっている。このような複合動詞による文の意味は動詞意味によってのみ担われるのではなく、目的語などの文構成素のもつ語彙的意味、実世界についての語用論的知識によっても補われている。
本発表では、接頭辞ab-による複合動詞文について、まず文意味構造と基底語、接頭辞との意味的結合関係を分析し、次に、このような意味的枠組みの中に、実世界についての語用論的知識に整合するような語彙的意味をもつ各文構成素が組み合わされ、文意味が形成されていることを示す。

第44回例会(研究発表会)

日時:2001年5月26日(土) 13:30~17:30

場所:関西ドイツ文化センター(京都)

<<内容>>

1.研究発表
発表者:Amm Patcharaporn Kaewkitsadang
氏(京都大学院生)
題目:日本語とタイ語における感情表現について――ジェスチャー・感情認識を中心に ――

[要旨]

今回の発表では、異文化間の感情表出の形式、またその形式の認知と意味づけを考察することを目的とし、基本的な姿勢としては感情とは感情行為(身体変化・身振り行動)とみなす。このような感情は言語・文化・社会と何らかの形で結びついていると考えている。人間は自分の心の中に起こっている感情をどのように表現するのか、また他者はその感情をどのように認識・解釈するのかについて日本人とタイ人の場合との比較をしてみたいと考えている。この発表は特に顔面表情に絞るものではないため、写真・ビデオなどは使わない。アンケート方法をとる。(他者の)感情認識を中心に考察しようと考えているので、アンケートからの概念的感情の表現形式についての情報(他人がある感情を抱いていることを知るための手掛かり)を重視する。ジェスチャーによる感情表現から見てみて、社会によって感情表現の構成要素への認知・注目の仕方が異なるのではないかと考えられる。


2.研究発表
発表者:長友 雅美 氏(東北大学)
題目:ペンシルベニアドイツ語は消滅に向かっているのか?

[要旨]

ペンシルベニアドイツ語 Pennsylvania German language (Pennsylvania Dutch)は北米で発展したドイツ語方言変種の一つである。南ドイツのプファルツ方言とスイスドイツ語や他のドイツ語方言に英語の語彙・統語上の影響を受けながらここ300年の間の時間の流れの中で変化をとげ続けてきた。このドイツ語方言変種はかつて存在したテキサスドイツ語、サンフランシスコ湾岸ドイツ語、ウィスコンシンドイツ語、ネブラスカドイツ語等の二言語併用もしくは多言語使用のドイツ語の「言語島」と比べると、その社会的・宗教的諸要因の連続性故に堅固なものである。二言語併用もしくは多言語使用の領域では借用語彙・語法レベルの研究は話者の社会的地位、またはその話者の相手、関係する概念の度合い、借用語彙受容の特徴等を研究者に分析可能とする機会を与えている。今回の発表ではペンシルベニアドイツ語の概略を様々な角度から紹介しつつ、最近の「危機に瀕する言語」に関するフレームの中ではこのドイツ語方言変種の実態が把握しがたいこと、またこの言語の「言語文化維持運動」のために数多の努力が続けられていること等も論じることにしたい。


3.定例総会

第43回例会(研究発表会)

日時:2000年12月16日(土) 13:30~17:30

場所:関西ドイツ文化センター(京都)

<<内容>>

1.研究発表
発表者:Jessika Häfker 氏(京都大学院生)
題目:心の内的状態を表す表現の習得―― ドイツと日本の幼児と行った準備調査の紹介 ――

[要旨]

意図、感情、認知は、個人的で内的なものであるために、観察可能な状態ではないとされている。この発表では、子どもは心についてどのように知るようになるのかを考察したい。心理学はその問いに対してどのような答えを与えてきたのか。そして、それらの答えが妥当な答えなのか。このような問いに対する心理学の答えを点検する作業が発表の出発点となる。「心についての理解は言語を媒介として必要とする」「その理解は子どもと養育者の間における言語的及び身体的なやりとりから生まれる」という二つの仮説を立て、他者の心についての親子の会話を分析した。そこで情緒を表しやすい日本語の構造と語彙、ドイツの親子関係・内的状態語の使用・ドイツ語の複雑な構造を議論したい。


2.研究発表
発表者:三輪 朋也 氏(関西学院大学院生)
題目:テクスト種類分析における方法論的考察―― 分析基準における不統一性の解明について ――

[要旨]


テクスト言語学では、われわれが社会的言語生活の中で経験的に具体的なテクストをある特定のテクスト種類へと分類できる事実を踏まえ、テクスト自体だけでなくテクスト種類およびテクスト種類分類に関わる特殊な規則性を解明するためにさまざまな分析基準を設定し具体的なテクスト分析をおこなってきたが、依然どんなテクスト(種類)にも適応できる方法上の統一的基準を見出せていない。本発表では、代表的な分析基準であるテクスト機能(Textfunktion)を中心に、先行研究における具体的なテクスト分析を例にあげ、基準としての正当性を検証し、さらにテクスト機能に代わる、あるいはテクスト機能を補助するその他の基準との関係を考察したい。


3.研究発表
発表者:湯浅 博章 氏(姫路獨協大学)
題目:テンス・アスペクト・モダリティの相互干渉について―― daß補文等を中心に ――

[要旨]


「文」を構成する中心要素は定動詞であると一般的に認められるとすると、動詞に内在する人称、法、時制のような文法カテゴリーが文構造に何らかの影響を及ぼすことは十分に考えられる。けれども、この観点からの構文研究はまだ新しく、解明すべき問題は数多く残されている。こうしたことから、発表者はこれらの文法カテゴリーの意味・機能と文構造との影響関係を明らかにすることを現在の課題としている。本発表ではその端緒として、daß補文やそれに類する構文に見られるテンス・アスペクト・モダリティの影響とその相互干渉について考察することにしたい。


3.定例総会