例会

第55回例会(研究発表会)

日時:2004年12月4日(土)13:30~17:30
場所: 京都大学大学院人間・環境学研究科棟233研究室(2階)
<<内容>>

1.講演
発表者:Alfred Ebenbauer 氏(ウイーン大学)

題目:≫Österreichisches Deutsch≪

2.研究発表
発表者:薦田 奈美 氏(京都大学院生)
題目:「意味変化現象における伝統的分類の見直し~ドイツ語の場合~」

[要旨]


意味変化現象とは、時間の流れの中で様々な影響を受けながら語の意味が分化し、それが慣習化して定着するという一連の流れを指している。この通時的現象としての意味変化を考える上で必要となるのは、新しく意味が発生する段階とその意味が定着する段階に区別して現象全体を捉えることではないだろうか。従来の歴史言語学における研究では、そのプロセスが複雑なものであるために明解な説明が困難であるとされてきたが、これらの区別によって、意味変化現象に新たな観点からアプローチを行うことが可能であると考えられる。本発表では、新たな意味が発生する段階においては、そのメカニズムを実際の個人の使用におけるメタファー・メトニミーとして考え、定着する段階においては、多義ネットワークの形成による類義語との競合を中心に、辞書記述観察を通して、認知的観点からの意味変化現象に対する説明を試みる。また、その基準や観点が統一的ではない伝統的な意味変化現象の分類方法について、メカニズム内の様々な要素の違いを検討することによって、新たな分類基準を設け、意味変化の原因や共通性といった根本的な部分を説明しうる基盤の構築を目指す。


3.報告
発表者:Cornelia Jung 氏(ライプツィヒ大学)
題目:≫Das Deutsch als Fremdsprache Studium an der Universität Leipzig≪

[要旨]

 Ich studiere an der Universität Leipzig Japanologie und Deutsch als Fremdsprache (DaF) im Hauptfach, und mache seit Oktober ein Unterrichts-Praktikum für DaF an einer japanischen Universität (Dokkyo-Universität Himeji). In meinem Vortrag möchte ich aus der Sicht der Studenten über das heutige Bild des Fachbereichs DaF der Universität Leipzig und des Herder-Instituts berichten: z.B. wie der Bereich unserer Universität organisiert ist, wie sein Studiensystem funktioniert und wie sich das theoretische Studium und die praktische Ausbildung ergänzen, usw. Desweiteren werde ich in meinem Bericht auch die heutige Situation der Japanologie an unserer Universität erwähnen.

第54回例会(研究発表会)

日時:2004年9月25日(土)13:30~17:30

場所: 京都ドイツ文化センター

<<内容>>

1.ドイツ語教育シンポジウム

司会者:桐川 修 氏(奈良高専)

報告1
報告者:羽根田 知子 氏(京都外国語大学)
題目:京都外国語大学の場合


報告2
報告者:島 憲男 氏(京都産業大学)
題目:京都産業大学の場合


報告3
報告者:藤原 三枝子 氏(甲南大学)
題目:甲南大学の場合


報告4
報告者:湯浅 博章 氏(姫路獨協大学)
題目:姫路獨協大学の場合


2.自由討論会

[シンポジウム要旨]

近年、ドイツ語教育は厳しい状況におかれ、それぞれの教育機関でこれに対応したそれなりの工夫が行われてきた。しかし、2007年に大学全入化時代を迎えようとしている今日では、ドイツ語教育に携わる私たちはさらに困難な状況に直面していると言える。国公立大学および国公立の教育機関では独立行政法人化が進むことにより、「学生へのサービス」として教育システムを充実させることは急務となっている。また、私立大学では教育システムを「学生へのサービス」として充実させることはもちろん、すでに生き残りをかけた戦いが始まっている。こうした状況に乗り遅れることなくドイツ語教育を改善していかなければ、ドイツ語教育がさらに衰退していくことは目に見えている。それでは、どのようにすれば「学生へのサービスとしてのドイツ語教育」が実現できるのであろうか。そもそも高い志があれば教育現場での改革は可能なのであろうか。技術的な創意工夫(例:教材開発、CALLの導入など)だけではどうしようもない教育行政面での制約が目の前にある中で、どのような方策が考えられるであろうか。今回のシンポジウムでは、国公立大学に先んじてさまざまな努力がなされている私立大学から数名の報告者を迎え、その諸報告をもとに、参加者間でいかにしたら生き残りがはかれるのか、その方策について議論する。

第53回例会(研究発表会)

日時:2004年5月29日(土)13:30~17:30

場所: 京都ドイツ文化センター

<<内容>>

1.報告
報告者:増本 浩子 氏(姫路獨協大学)
題目:ラジオによるドイツ語授業の3つの困難

[要旨]

私は2003年4月から半年間、NHKラジオドイツ語講座入門編を担当した。番組担当中は、ラジオというメディアを使ったドイツ語授業に特有の問題に悩まされた。普段行なっている大学での授業との相違から、特にとまどったのは次の3点だった。
1) 不特定多数の人々を対象にしていること: リスナーの年齢には大きな幅があり、彼らの関心やドイツ語を学ぶ動機は様々である。そのため、すべてのリスナーが満足できるような番組を作ることはほぼ不可能に等しい。
2)フィードバックが欠けていること: 相手の顔が見えないので、こちらの言いたいことがちゃんと伝わったかどうか、その場では把握できない。また、テスト等も行なうこともできないので、リスナーが番組を通じてどの程度ドイツ語力を身につけたのかもわからない。
3)視覚教材が使えないこと: ラジオだから写真や実物を見せられないのは当然としても、教科書や黒板さえ使わず、すべて耳で聞いてわかるようにことばで説明するのは、想像するよりはるかにむずかしいことだった。(書店で販売しているテキストの購入を義務づけることはできないので、番組は原則的にリスナーがテキストを持っていないものとして構成される。また、リスナーの中には視覚障害者も多い。)
研究会では、これらの困難を克服するためにどのような工夫をしたかについて報告する。また、世間でドイツ語学習に対する関心が薄れつつある昨今、テレビやラジオの講座が果たす役割についても考えてみたい。



2.第27回言語学リレー講義
講師:齋藤 治之 氏(京都大学)
題目:ゲルマン語動詞組織の特徴――他のインドヨーロッパ諸語との比較において――

[要旨]

ゲルマン語の動詞組織の特徴は語根が本来有するAktionsartとは無関係に、動詞がその音韻構造に従って、語根をⅠ類からⅦ類までの母音交替のパターンに組み込み、それに基づいて 1. 不定詞、2. 過去単数形、3.過去複数形、4. 過去分詞形を形成する、という点にある (例:Ⅰ類 1. CeiC-(>CīC-)、2. CoiC-(>CaiC-)、3. CiC-、4. CiC-)。他のインドヨーロッパ諸語においてはこのような機械的なパターン化は稀であり、祖語の古い段階の動詞組織を保持すると考えられているサンスクリット語やギリシア語では、完了相の動詞は“語根アオリスト”、未完了相の動詞は“sアオリスト”という具合に、動詞の語根が有するAktionsartが動詞組織の形成に重要な役割を果たしている。本発表では、近年研究の進展とともに、動詞組織に関してサンスクリット語やギリシア語のような古いタイプの言語とゲルマン語のように比較的新しいタイプの言語の中間に位置すると考えられるようになっているトカラ語の例も挙げることにより、インドヨーロッパ語族に属する諸言語の動詞組織の発展を辿り、それによりゲルマン語の動詞組織の特徴を浮き彫りにすることを目指している。


3.定例総会

第52回例会(研究発表会)

日時:2003年12月20日(土)13:30~17:30

場所: 関西ドイツ文化センター(京都)

<<内容>>

1.研究発表
発表者:塩見 浩司 氏(関西大学非常勤講師)
題目:ゴート語の動詞接頭辞 ~統計的考察の試み~

[要旨]

ゴート語は最古のゲルマン語として最もまとまった資料を提供していることは論を待たない。その資料の大部分はコイネーで書かれた新約聖書の翻訳であるが、これは原典であるギリシャ語に極めて忠実に従っているものとして知られている。ここで興味を引くのは動詞の問題であろう。ギリシャ語は動詞の活用体系が非常に豊富であり、アスペクトを有している。このような言語で書かれたものを動詞の活用体系に乏しいゴート語に翻訳する際にはそれなりの工夫が必要であったろうことは想像に難くない。そういった工夫のひとつとして動詞接頭辞の使用が考えられるのではないか。本発表はゴート語の動詞およびその接頭辞の意味や機能について考察を試みるものであるが、その際には新約聖書中に見られるゴート語動詞の用例をギリシャ語原典のそれと対比させるため現在作成中の『ゴート語・ギリシャ語動詞データベース(仮)』を用いる。


2.研究発表
発表者:坂口 文則 氏(福井大学)
題目:翻訳によって伝達される情報量を計量する試み

[要旨]

数理科学と言語学の間にはさまざまな接点を探ることができるが、その一つとして、C. Shannonらによって「情報通信の数理的理論」として20世紀半ばに定式化された「情報理論」が、自然言語の分析とどのような接点をもちうるかを考えてみたい。一つの試みとして、時制体系の異なる言語間の翻訳において動詞の時制に関する情報がどれだけ伝達されるのかを、情報理論で定義される「相互情報量」を用いて量的に測定することを試みる。また、自然言語をこのアプローチに載せる際に解決しなければならないいくつかの問題点についても触れる予定である。


3.研究発表
発表者:成田 節 氏(東京外国語大学)
題目:ドイツ語と日本語の受動文をめぐって

[要旨]

ドイツ語と日本語の受動文を比較しながら両言語における受動文の意味的な特徴を探り出すことを目指す。多くの文法書には、受動文と能動文は視点が異なるという叙述が見られるが、この「視点」という概念の再検討がまず必要だ。ここでは「注視点」(どこを見ているか)と「視座」(どこから見ているか)の区別を明確にした上で、ドイツ語の受動文の特徴を捉えるさいには「注視点」が重要だが、日本語の受動文の特徴を捉えるさいにはむしろ「視座」が重要になるという考えを軸に、結合価の減少(ドイツ語の受動文)と増加(日本語の受動文)の対立、被害の3格(Dativ incommodi)と日本語の迷惑受身の対応などの問題にも触れながら考察を進める。また、単なる理屈だけに終わらないように、日本語の小説の原文とドイツ語訳を用いて、それぞれの受動文が実際にどのように用いられているかを観察する。

第51回例会(研究発表会)

日時:2003年9月27日(土) 13:30~17:30

場所: 芝蘭会館 国際交流会館

<<内容>>

1.ドイツ語教育シンポジウム

司会者:湯浅 博章 氏(姫路獨協大学)

報告1
報告者:岸川 良蔵 氏(鳥羽商船高専)
題目:項目小出し方式――45分授業という条件のもとで――


報告2
報告者:吉村 淳一 氏(大阪市立大学非常勤)
題目:学生との対話


報告3
報告者:本田 陽太郎 氏(奈良県立医科大学)
題目:ドイツ語力と専門ドイツ語


報告4
報告者:神谷 善弘 氏(大阪学院大学)
題目:ドイツ語の授業を再考する――ドイツ語教育の底辺を拡大するためのいくつかの方法――


2.自由討論会

[シンポジウム要旨]

 旧文部省によるいわゆる「大綱化」以来、ドイツ語教育をめぐる環境は激変した。全国の大学、高専、中学・高校のカリキュラムが改革され、これとともにドイツ語教育は「危機的な」状況に陥った。こうした状況を受けて、教授法の研究や授業の見直しが進められ、新たな教材やさまざまな機器の活用法が模索されてきた。日本独文学会やドイツ語教育部会、ならびに本研究会でも何度もシンポジウムや研究発表が行われ、これからのドイツ語教育のあるべき姿について議論されてきた。けれども、これまでの試みは素材と道具をどのように改良するかという範囲に留まっていて、いわば食材と調理器具を使ってどのような料理を作り出すか、つまりシェフの腕に関わる部分の議論までには至っていないように思われる。我々がドイツ語教師として日々教壇に立つ以上は、いかに腕を磨くかという問題は避けて通ることのできない問題であり、今後はこの問題に関する議論が必要になってくるであろう。そこで、この問題に対する本研究会での試みの第一歩として、今回のシンポジウムを企画した。
今回のシンポジウムでは「効果的な授業」ということをテーマに取り上げているが、どのような授業を「効果的」と判断するかの基準は、もちろんカリキュラム等の環境によって異なるであろう。しかし、どのような環境に置かれようと、それぞれの教師が行う授業が効果的かどうかはその授業を受けている学生が判断するのであり、この点では環境によって左右されるものではない。こうした基本認識に立ち戻り、「効果的な」授業にするためにどのような工夫をしたり、どのような問題を抱えているかということを忌憚なく話し合い、そこから参加者の方々が何らかのヒントを得られるような機会にしたい、というのが今回のシンポジウムの趣旨である。シンポジウムでは、まずそれぞれの報告者からおおよそ以下のような項目についての具体的な工夫点、問題点が示され、その後報告の内容をもとにして会場全体で討論および情報交換を行いたい。今回のシンポジウムが参加者の方々の、ひいてはこれからのドイツ語教育の改善につながる機会となることを関係者一同願って止まない。

  • 学生のニーズの把握とその授業への反映
  • カリキュラムに応じた授業計画の立て方
  • 授業展開の仕方(年間、学期、毎回)
  • 文法項目や四技能の取り扱い方
  • テキストの選択
  • 副教材・資料や機器の活用の仕方
  • 授業以外のケアのやり方
  • 授業に関する評価
  • これからのドイツ語教師に求められる能力
  • 学生の受講マナーを改善するための方策 等

第50回例会(研究発表会)

日時:2003年6月7日(土) 14:00~17:00

場所: 関西ドイツ文化センター(京都)

<<内容>>

1.研究発表
発表者:羽根田 知子 氏(京都外国語大学)
題目:damit文の時制について

[要旨]

主文と副文から成る文を書く時、副文の時制をどうすればよいのか迷うことがある。例えば、「私は、彼女が風邪を引かないように、私の上着を貸してあげた」という文を書く場合、「彼女が風邪を引かないように」の部分に接続法を用いないとすれば、現在形で表すのか、あるいは過去形で表すのかという問題が生ずる。又、主文と副文の時制が共に過去形であっても、接続詞がdassとdamitでは、主文と副文によって表される事柄の時間関係が異なる。
ドイツ語には、いわゆる「時制の一致」がないと言われているが、ではどうすればよいのかと問われると、即答するのは難しい。本発表では、damit文の時制を観察することから始めて、一定の傾向を導き出し、さらに、時制が一致しているように見える文を、「時制の一致」という言葉を用いないで如何に説明しうるかを考察したい。

 


2.第26回言語学リレー講義
発表者:武市 修 氏(関西大学)
題目:中高ドイツ語叙事詩に見られる表現の多様性

[要旨]

ドイツ語の歴史の中で中高ドイツ語の時代は、独特の様相を呈している。つまり、一方では総合的構造から分析的構造への言語の一般的な変遷の過程をたどるとともに、他方では、脚韻文学なるが故の独特の表現形式が並存しているのである。詩人たちは制約された条件の中で彼らの詩的世界を表現するために、様々な手段を用いた。本発表では、宮廷叙事詩を中心に、前者の一例として、分離動詞への過渡的な現象の一端を垣間見、後者の例として、押韻しリズムを整えるための動詞の縮約形(例えば、過去分詞gesaget, gelegetなどの代わりのgeseit, geleitなどの形)やさまざまな迂言法(例えば動詞の繰り返しを避けるための代動詞としてのtuonの用法など)を例示し, また、その中間的な現象として、文法化されつつある中で元の意味をも残している完了や接続法の多様な用法など、語形、語順、統語法の面から当時の宮廷叙事詩にみられる独特の表現について紹介してみたい。


3.定例総会

※この会で会誌第2号が発行された。

第49回例会(研究発表会)

日時:2002年12月14日(土) 13:30~17:30

場所: 関西ドイツ文化センター(京都)

<<内容>>

1.研究発表
発表者:長縄 寛 氏(関西大学大学院生)
題目:古高ドイツ語、中高ドイツ語の不定関係代名詞 sô wer sô, swer について

[要旨]

 古高ドイツ語の不定関係代名詞 sô wer sô(~するところの者は誰でも)は、中高ドイツ語期に至り、swer へと簡略化され、14世紀には werとなる。本発表では、古高ドイツ語期の作品である『オトフリトの総合福音書』と、中高ドイツ語期の作品であるハルトマン・フォン・アウエの『イーヴァイン』を取り上げ、これら二つの作品に見られる不定関係代名詞が当時どのように用いられていたのか、具体的な例文を挙げながら述べてみたいと思う。


2.第25回言語学リレー講義
発表者:石川 光庸 氏(京都大学)
題目:『ヘーリアント』詩人の語り口

[要旨]


これまでの人生そのもののごとく、教員としても研究者としてもディレッタントを貫いてきたこの私に、真摯な言語研究者集団を前にしていったい何を語ることができるでしょうか。幸い研究発表ではなく講義のようにやってよろしいとのことなので、いつもの学生を煙に巻いている(当方にその意図はないのですが―)情景の一端をお目にかけることになるでしょう。まず初めに(私事で恐縮なのですが)『ヘーリアント』にたどりつくまでの遍歴、いや彷徨についてもちょっと触れ、その後『ヘーリアント』詩人の語り口という視点からいくつか考えていることをお話しいたしたいと思っております。その多くは印象批評の域を出ていないのではありますが。


3.研究発表
発表者:成田 節 氏(東京外国語大学)
題目:結合価と構文――ドイツ語と日本語の対照――

[要旨]


日本語と比べながらドイツ語の構文の特徴を照らし出すという大枠で、この報告では以下のような観点を中心に、できるだけ具体的に考える。(1)動詞の結合価が文構造を決めるという仕組みは両言語でどのように異なるか。(2)文構造が特定の文意味を形成するという仕組みは両言語でどのように異なるか。(3)視点と構文の関係は両言語でどのように異なるか。(まだまだ研究の途上です。様々な観点からのご指摘がいただければ幸いです。)

第48回例会(研究発表会)

日時:2002年9月14日(土) 13:30~17:30

場所: 関西ドイツ文化センター(京都)

<<内容>>

シンポジウム「ドイツ語教育への新たなアプローチ――その実践的可能性――」

司会:河崎 靖 氏(京都大学)

報告1
報告者:桐川 修 氏(奈良高専)
題目:ビデオ教材のデジタル化について

[要旨]

ここ数年、各出版社からビデオ付きの教材が続々と出版されている。美しい映像で学習者を惹きつけ、ドイツ語の学習とならんでドイツ語圏のLandeskundeをもあわせて学べるようになっているものが多い。ただ、ビデオ教材を学習者に提示する際にはクラス全員に、一斉に上映するという方法がとられているように思われる。この場合、たとえばもう一度最初から見たい、とか、ある部分だけを繰り返し見てみたい、などの学習者個人個人の希望をかなえるのは難しいであろう。このような希望をある程度かなえるために、筆者はビデオ教材をデジタル化し、ホームページで各人が自由に視聴できるような方法を採っている。今回はこの方法を皆さんにご紹介したい。



報告2
報告者:清水 政明 氏(京都大)
題目:最先端技術を用いて

[要旨]

2002年2月より京都大学学術情報メディアセンターに新たに導入されたコンピュータ支援型語学教育(CALL)システムの紹介を通じて、CALLの可能性について考察する。特に、マルチメディア・マルチリンガルな環境への対応を考慮しつつ、システム主導型ではなく、コンテンツ重視の語学教育を実現するためのシステム構築の可能性について、これまでの経緯を踏まえて考察する。



報告3
報告者:北原 博 氏(大阪市立大・非常勤)
題目:自作CALL教材を使用した授業の実際

[要旨]

コンピュータを授業に取り入れる際に、教材は大きな問題となる。報告者はこれまで普通教室用に作られた教科書をCALL教材にアレンジして使用してきたのであるが、そうした実践を通して作成してきた教材を紹介したい。併せて、授業でコンピュータを使用することによって現れる学習効果、授業形態の変化などについても検討してみたいと考えている。


報告4
報告者:吉村 淳一 氏(大阪市立大・非常勤)
題目:TA の立場から

報告5
報告者:森 秀樹 氏(大阪大・院生)
題目:学生の本音

討論会

第47回例会(研究発表会)

日時:2002年5月25日(土) 13:30~17:30

場所: 関西ドイツ文化センター(京都)

<<内容>>

1.研究発表
発表者:金子 哲太 氏(関西大学非常勤講師)
題目:『2重過去完了形』の位置付けについて

[要旨]

 ドイツ語には一般に、6つの時称形式がみとめられているが、ときとして完了形が2重に構造化されたようにみえる統語形式が現れることがある。
a) Er hat die Arbeit schon abgeschlossen gehabt.
(彼は仕事をもう終えてしまっていた。)  G.Helbig /J.Buscha 1994 S.160

b) Frau R. hatte den Pachtvertrag gekündigt gehabt.
(R女史は用益賃貸借契約を解約していたのだった。)  H-W. Eroms 1984 S.347

これらの統語形式のうち、一般に、a)タイプのものは、とりわけ話し言葉での使用がみとめられる一方、文章語においては
b)タイプのような表現が散見される。こうした統語現象が現れる頻度は絶対的に低いといわなければならないが、文法書ではすでに16世紀にその記述がみられ、等閑視されつつも現代に至るまでその存在は文法家たちにみとめられてきている。個別の研究対象として文法研究のなかで扱われ始めるのは1960年代の初め頃からであり、それぞれ異なった立場で研究がなされてきた。たとえば、上部ドイツ語に生じた「過去形消失」との関連で、その出自や体系的位置付け、あるいは標準語か方言かの問題について、一方またフランス語にみられる類似現象との対照比較や、時称意味論的、アスペクト意味論的視点からの個々の意味用法の抽出などである。
本発表では、考察の対象をb)タイプに絞り、その意味用法についてこれまで議論されてきた幾つかの解釈を確認したうえで、この統語形式が担う文法的な役割について考察することにしたい。そのさい、完了構造を持つ時称形式との形態論的・意味論的関係から、時間性とアスペクト性という観点を考慮に入れ、ひとつの試みとして動詞カテゴリー内における位置付けを行ってみたい。



2.第24回言語学リレー講義
発表者:三谷 惠子 氏 (京都大学)
題目:ロシア語およびスラヴ語の動詞の<体(たい)>について

[要旨]

0)はじめに。スラヴ諸言語の動詞には<体(たい vid)>がある。「体」とはどのようなものなのかを、形態統語論的特徴および意味機能の両面から取り上げ、文法範疇としての「アスペクト」について考える材料を提供したい。

1)<体>の形態論的特徴について。ドイツ語やロシア語で名詞にそれぞれ固有の文法的性があるのと同じように、スラヴ語においては動詞が<体>という文法的特性をもつ。すべての動詞は完了体か不完了体のどちらか(機能上両方の体の意味を持つ両体動詞が若干ある)であり、その基本的意味は、完了体が事象を「完結した全体」として表し、不完了体はそのような完結の意味を含まずに提示することにあるとされる。完了体と不完了体は<体>のペアを形成するといわれるが、体の形態論的特徴は部分的にドイツ語の
Aktionsartの形成と共通する。そこでドイツ語との共通点、そして根本的な相違点はどこにあるのかを明らかにする。

2)<体>と語彙意味の関係について。動詞の体はペアをなすとはいえ、もちろんすべての動詞で体のペアが形成されるわけではない。ここには動詞語彙の意味と、完了体、不完了体それぞれの<体>の意味が関与する。この現象に関連して、どのような問題があるかを、動詞の項構造の関連も含めて簡単に述べる。

3)<体>の定義について。スラヴ語学、とくにロシア語学においては<体>の定義付けが大きな議論であり続けた。それはなぜなのか。体の用法上の制約や体の異なりによって生じる意味的違いといった言語事実を指摘しながら、<体>の定義に関する問題について述べる。

4)スラヴ語間の違いについて。動詞の体の存在はスラヴ語全体に共通するが、個別の用法にはさまざまな違いがある。こうした違いのいくつかを例に、体の表す意味の、体に固有の本質的部分とそうでない部分について述べる。


3.総会

[議題]

  • 1.各委員からの報告
  • 2.新委員の選出

第46回例会(研究発表会)

日時:2001年12月15日(土) 13:30~17:30

場所: 関西ドイツ文化センター(京都)

<<内容>>

1.ドイツ語学コロキウム《話者・人称・主語をめぐって》

コーディネーター:西本 美彦氏(京都大学)

研究報告1
報告者:岸谷 敞子氏(愛知大学)
題目:〟Satzbildende Person “(構文の主体)――あるいは〟Die Origo des Zeigfeldes “
(指示場の原点 ― 表現行為の起点)としての〟Sprecher“(話者)について――

[要旨]

 個別言語の使用法や文法規則を記述するとき、私たちは「話者(Sprecher)」の概念をことさら術語として定義することもなく使用するのが普通である。「話者」であることがどういうことであるか、各人は自分自身が話者であるときの体験を通して自明のように了解しているからである。しかし、西欧伝統のコミュニケーション・モデルにしたがって「一人称単数=発信者の役割」と意識する場合の「話者」と、日本語で「自発」や「受身」の態を選んで叙述内容を形成する言語主体が「自分=表現行為の起点」と自覚する場合の「話者」とでは、「話者」についての了解が同じであるとは言えない。人称三分法にしたがって述語を形成しなければならないドイツ語の話者にとっては、Karl Bühler の「指示場の原点(Die Origo des Zeigfeldes)」によって示唆されるような「表現行為の起点」を、まだ人称に分類されていない「主体としての自分」と意識することは、かなり困難であるのかもしれないが、このような「表現行為の起点」としての「話者」の機能を想定することは、日本語のみならずドイツ語の文法研究にとっても必要であり、有用でもあるように思われる。両言語のいくつかの例を手がかりにして、「話者」と「主語」の言語普遍的な関係について考えてみたい。



研究報告2
報告者:湯浅 博章氏(姫路獨協大学)
題目:構文形成と「話者」の機能

[要旨]

 言語研究の中で「話者(Sprecher)」という概念に言及されるのは、心態詞やモダリティのような語用論的研究の中であることが多い。その場合には、「話者」とは発話の場面に存在する人物を指していて、伝達内容(すなわち、言語表現)を発話して伝達する送り手として理解されている。確かに、このようなコミュニケーション・モデルにおける発信者としての役割も「話者」の特徴ではあるが、こうした理解では、語用論的に付与される表現・意味以外の伝達内容の核、つまり叙述内容そのものを形成する主体としての「話者」の姿は見えてこない。「話者」は発信者であると同時に、現実世界を言語化して叙述内容を形成する主体でもあるのは確かである。そうすると、叙述内容の形成にも「話者」による現実世界の捉え方・切り取り方が何らかの形で反映されていると考えられるが、こうした観点からの構文研究はまだ進んでおらず、これからの重要な課題であると言える。本発表では、日本語とドイツ語に見られる例を手がかりにして、叙述内容の形成に際して「話者」がどのような役割を果たしているのかを探ることにしたい。


2.臨時総会