第46回例会(研究発表会)

日時:2001年12月15日(土) 13:30~17:30

場所: 関西ドイツ文化センター(京都)

<<内容>>

1.ドイツ語学コロキウム《話者・人称・主語をめぐって》

コーディネーター:西本 美彦氏(京都大学)

研究報告1
報告者:岸谷 敞子氏(愛知大学)
題目:〟Satzbildende Person “(構文の主体)――あるいは〟Die Origo des Zeigfeldes “
(指示場の原点 ― 表現行為の起点)としての〟Sprecher“(話者)について――

[要旨]

 個別言語の使用法や文法規則を記述するとき、私たちは「話者(Sprecher)」の概念をことさら術語として定義することもなく使用するのが普通である。「話者」であることがどういうことであるか、各人は自分自身が話者であるときの体験を通して自明のように了解しているからである。しかし、西欧伝統のコミュニケーション・モデルにしたがって「一人称単数=発信者の役割」と意識する場合の「話者」と、日本語で「自発」や「受身」の態を選んで叙述内容を形成する言語主体が「自分=表現行為の起点」と自覚する場合の「話者」とでは、「話者」についての了解が同じであるとは言えない。人称三分法にしたがって述語を形成しなければならないドイツ語の話者にとっては、Karl Bühler の「指示場の原点(Die Origo des Zeigfeldes)」によって示唆されるような「表現行為の起点」を、まだ人称に分類されていない「主体としての自分」と意識することは、かなり困難であるのかもしれないが、このような「表現行為の起点」としての「話者」の機能を想定することは、日本語のみならずドイツ語の文法研究にとっても必要であり、有用でもあるように思われる。両言語のいくつかの例を手がかりにして、「話者」と「主語」の言語普遍的な関係について考えてみたい。



研究報告2
報告者:湯浅 博章氏(姫路獨協大学)
題目:構文形成と「話者」の機能

[要旨]

 言語研究の中で「話者(Sprecher)」という概念に言及されるのは、心態詞やモダリティのような語用論的研究の中であることが多い。その場合には、「話者」とは発話の場面に存在する人物を指していて、伝達内容(すなわち、言語表現)を発話して伝達する送り手として理解されている。確かに、このようなコミュニケーション・モデルにおける発信者としての役割も「話者」の特徴ではあるが、こうした理解では、語用論的に付与される表現・意味以外の伝達内容の核、つまり叙述内容そのものを形成する主体としての「話者」の姿は見えてこない。「話者」は発信者であると同時に、現実世界を言語化して叙述内容を形成する主体でもあるのは確かである。そうすると、叙述内容の形成にも「話者」による現実世界の捉え方・切り取り方が何らかの形で反映されていると考えられるが、こうした観点からの構文研究はまだ進んでおらず、これからの重要な課題であると言える。本発表では、日本語とドイツ語に見られる例を手がかりにして、叙述内容の形成に際して「話者」がどのような役割を果たしているのかを探ることにしたい。


2.臨時総会

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