第36回例会(研究発表会)

日時:1998年9月26日(土) 13:30~17:30

場所: 関西ドイツ文化センター(京都)

<<内容>>

シンポジウム「認知論的視点から見た意味の問題」

1.研究発表
発表者:安藤知里氏(京都大学大学院生)

題目:認知意味論からみた所格交替現象の一考察

[要旨]

 認知意味論は、言語の意味的側面は人間の認知様式(知覚と認識のありよう)
を体系的に反映し、それを言語の形式的側面が実現するという立場である。一方の極に外的現実があり、もう一方の極には言語表現がある。その両極を結ぶ回路に経験世界がある。言語表現は外的現実を忠実に映し出すのではなく、認知した限りの外的現実を映し出すのだと考えられる。そこから言語普遍的な文の意味内容の骨格構造を解明することが目標である。
本発表では、英語とドイツ語の所格交替現象を取り扱う。例えば以下の例文、
(1a) John loaded hay onto the truck.
(1b) John loaded the truck with hay.
(2a) Hans lud Heu auf den Wagen.
(2b) Hans belud den Wagen mit Heu.
(1a)、(2a)の解釈には「トラックの一部に干し草を積む」、そして(1b)、(2b)の解釈には「トラックいっぱいに干し草を積む」と解釈される。これは、後者を「全体的」( holistic
)解釈、前者を「部分的」( partitive ) 解釈とみなされる。所格交替形の研究は、様々な立場からこれら二つの異なる統語構造における「全体的」か「部分的」かという意味解釈の差異に関して、定式化および概念化を目指す試みがなされてきた。例えば、それはFillmore (1968,1977)に代表される格理論による考察や、またJackendoff(1990)に代表される語彙概念構造を用いた形式化の試みである。しかし、これらの試みは、どのような場合に「全体的」または「部分的」解釈がなされるのかという本質的な問題を解明することができないという難点がある。
認知意味論において、文は語と談話をつなぐ回路とみなされている。つまり文の意味には語彙的側面と構文的側面と発話的側面が深く関わりあっている。これら3つのレベルにおいて意味と形式の適性関係はどのように成り立っているか、この問題を視野に入れる必要があるが、本発表では主として語彙的側面と構文的側面に注目する。所格交替現象において、(1b) (2b)の例文はJohn loaded the truck with a book./Hans belud den Wagen mit einem Buch.になると非文になることから、とりわけwith-/mit-句にどのような成分がくるかを考察し、 「全体的または部分的解釈がなされる要因は何であるか」を明らかにしたい。



2.研究発表
発表者:砂見かおり氏(大阪外国語大学大学院生)

題目:イディオム使用からみた人の認知能力について

[要旨]

 従来、ドイツのイディオム研究では、イディオムを分析する際の基準としてイディオム性、固定性、再生産性という諸特徴が用いられてきた。また近年では、比喩研究への関心の高まりに連動するかたちで、イディオムの比喩性に注目した研究もみられるようになった。イディオムの比喩性に着目した研究においては、一般的な比喩とイディオムで
は、次のような点に違いがあると考えられている:

(1)イディオムはイディオム性、固定性などの特徴をもっているために、代入等の統語的操作が不可能であるという点で比喩表現とは異なる。

(2)また比喩表現はイディオムとは異なり、文脈や状況によって文字どおりの意味にもメタファーの意味にも解釈できる。

しかし実際のイディオム使用をみると、統語的な操作を加えられたものや、文脈や状況に依存したものも存在することに気づく。こうした使用は、「凝結したものを再び溶かす」、つまりイディオム化の過程を溯った結果とみることができる。また別の見方をすれば、このような使用例は、固定化されたものを逸脱させた結果と考えることもできる。いずれにせよここで重要なことは、こうした使用を可能にするためには人の柔軟な認知能力が不可欠であるということである。今回の発表では、まず伝統的に取り扱われてきたイディオムの特徴を概観し、その後で更にイディオムの使用から見た人の認知能力について考えてみたい。


3.講演
講師:杉本孝司氏(大阪外国語大学教授,英語学)
題目:言語理解と認知モデル

[要旨]

 形式意味論における構成性原理とは「ある表現全体の意味はその表現を構成する部分の意味とそれら部分の結合様式のみから決定できる」とするもので、西洋論理哲学の流れを組む形式意味論のもっとも特徴的な作業原理である。しかし言語が我々人間の認知活動の一側面であることを考えた場合、このような構成性の原理に縛られ、あらゆる意味現象をこの原理を忠実に守ることによって説明しようとする試みには、不自然な分析や結論に陥ってしまう可能性が待ち受けていることも多いと言えよう。なぜなら、言語の意味理解には我々人間の認知活動があらゆる点で関連しており、単に部分を構成している言語表現が「それ自体で独立して持つ意味」の形式的結合様式によってのみ全体の意味が決定されるような非能率的で非効率的な認知活動は皆無に近いのではないか、と考えられるからである。人間は、そのような単純な情報処理パターンよりもはるかに柔軟で効率的で能率のよい且つ人間的に有意義な情報処理の方策を備えもっており、認知活動の一側面としての言語活動にそのような能力が活用されていないとは考えにくい。この「柔軟で効率的で能率のよい且つ人間的に有意義な情報処理」とは例えばどのようなものであろうか。この点に関して、「認知モデル」を設定しその一般的な特徴を言語理解や概念習得との関係で概観していきたい。

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