第35回例会(研究発表会)

日時:1999年12月18日(土) 13:30~17:30

場所: 関西ドイツ文化センター(京都)

<<内容>>

シンポジウム「言語とアイデンティティー――ドイツ語圏とその周辺――」

1.研究発表
発表者:田村 建一 氏(愛知教育大)
題目:ルクセンブルクの言語事情――三言語併用が抱える問題――

[要旨]

 かつてドイツ語の一方言にすぎなかったルクセンブルク語は、十九世紀前半に国民国家ルクセンブルク大公国が成立するとともに国民のアイデンティティーの中核として機能しはじめ、以来さまざまな形で言語育成がなされた結果、使用領域を拡大し、1984年の言語法ではフランス語、ドイツ語とともに公用語の地位を与えられるまでに至った。この間二度にわたるドイツ軍の侵略を経験したルクセンブルクでは、ドイツ語に対する感情は複雑である。行政文書や法律などはもっぱらフランス語が用いられ、フランス語の能力がステータスシンボルにもなる。
ルクセンブルク語の公用語としての規定は現在のところ象徴的な意味しかもたず、公文書にルクセンブルク語が用いられることはないし、学校でのルクセンブルク語教育(小学校で週半時間)が拡大される様子もない。実際には、三言語併用は国民の言語生活、とりわけ学校教育に対して、かなりの負担を強いており、学歴と言語能力と社会階層が強い相関関係にあるルクセンブルクで、もし一部の民族主義的な立場からの主張を受け入れてこれ以上ルクセンブルク語を拡充するならば、その結果フランス語教育が犠牲となり、国民の間でフランス語能力にますます差がひらくことが懸念されるのである。母語の育成を抑えてでも、統合が進むEU の中で言語的に有利な自国の立場を今後とも保持しようとするルクセンブルクの政策は、小言語を母語とする国家の言語政策の一つのあり方を示すものであろう。


2.研究発表
発表者:進藤 修一 氏(大阪外国語大学)
題目:南ティロールの言語政策――歴史的考察――

[要旨]

 イタリア北部のトレンティーノ・アルト=アディージェ州はいわゆる「多言語地域」で、現在イタリア語・ドイツ語・ラディン語(レト=ロマン系)の三言語が使用されている。この地域は1918年の第一次大戦までは多民族国家ハプスブルク帝国領であった。大戦に敗北したハプスブルク帝国は解体され、南ティロール地域はサンジェルマン条約によりイタリアへ割譲されることとなる。ここが現在の言語問題の出発点である。
本報告ではまず1918年より現在に至るまでの南ティロールにおける言語問題の概観を行い、さらにそのなかから併合後約20年間の状況を主題として言語・言語政策・言語使用者のアイデンティティーについて考察したい。本報告が対象とする期間に、イタリアはさまざまな政策によって、併合された南ティロールの「イタリア化」を推進する。その柱の一つとなったのが学校政策であった。ドイツ語教員の解雇・配転、ドイツ語での授業の禁止などが打ち出される。それに対抗してドイツ語系住民は個人授業の形で子弟のドイツ語教育を行い、それはやがて組織化されてドイツ語「地下学校」ネットワークが構築されることとなる。さらに注目すべきは、在外ドイツ人協会やアンドレアス・ホーファー協会のようなドイツ・オーストリアの団体の存在である。これらの団体は「在外ドイツ人」の支援に力を入れていたが、この南ティロールの地下学校教師養成コースも在外ドイツ人協会の支援を受け、ミュンヒェンでコースを設置していた。
こうしてみると社会における言語の役割とはどういうものだったのかという疑問が湧いてくる。言語は国家統合の柱として機能し得るのか。でなければ社会はどのようにして統合されているのか。人間は言語からのみアイデンティティーを獲得しているのか。言語と社会の関係がわれわれに突きつけている問題はあまりにも大きいが、新たな一面を照射すべく議論のたたき台を提供できればよいと考えている。


3.研究発表
発表者:清水 誠 氏(北海道大学)
題目:フリジア語群の変容と言語研究――多言語使用におけるアイデンティティ――

[要旨]

国をもたず、ドイツとオランダの3地域にわたって用いられるフリジア語群は、歴史的にオランダ語、デンマーク語、低地ドイツ語との接触を通じて発達してきたが、今日ではそれぞれオランダ語と標準ドイツ語の強い影響下にあり、大きな変容を遂げつつある。そうした状況のもとでフリジア語群の存在を支えてきたのは、何よりも話者の意識であり、フリジア人にとっては言語的なアイデンティティーが自らのアイデンティティーの基盤として大きな役割を演じてきたように思われる。ほとんどすべてのフリジア語話者が2言語あるいは多言語使用者となった今、近年のフリジア語の変容は話者の意識の変化と緊密な相関関係にあると言えるが、これにたいするフリジア語の擁護と言語教育は非常に熱心に行なわれており、フリジア語はいわゆる少数言語の言語政策として、フリジア人白身の厳しい自己評価に反して、他言語の場合と比較する限り、もっとも模範的な例のひとつであると言えるようにも思われる。この報告では、報告者の現地での体験を交えながら、フリジア語群の研究の一端を紹介し、少数言語の擁護のありかたと少数言語研究のもつ意義を示したい。同時に、フリジア語学の高い言語学的水準と興味深い言語現象のいくつかに注意を促し、ドイツ語学にとっての示唆を提供するように努めたい。なお、今回は、東フリジア語(Seeltersk/Saterländisch, ドイツ・ニーダーザクセン州・クロペンブルク郡、話者約1,000~1,500人)は報告者の力量不足のために割愛し、西フリジア語 (Westerlauwersk Frysk, オランダ・フリースラント州、話者約40万人)と北フリジア語(Nordfriesisch, ドイツ・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州・北フリースラント郡、話者約9,000~10,000人)の代表的な方言(Idiome)に話題をしぼることをお断りしておく。

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